くくりであり、家庭の慰安でさえもあります。いろり、という言葉の意味は、日本語にしても外国語にしても、あなたにはよくお分りのことと思います。それはまあそれとして、わたしは、亡くなった妻の常子にも、千代乃さんにも、またほかの二三の女にも、すっかり魅力を感じなくなりました。セックスの衰えから来たことかとも思いますが、そればかりではありません。女性というものは結局、男の活動の邪魔になり束縛になることを、多年の経験で知らされたのです。だから、家庭の中にあっては単なる長火鉢で結構、家庭の外にあっては単なる湯たんぽで結構……だが、長火鉢にせよ、湯たんぽにせよ、終始わたしの身辺について廻らないで、在るべき場所をはっきりきめておいて貰いたいものですよ。」
 議論ではなくて、告白めいた調子だった。暫く黙ってた後で、彼は突然言った。
「これは、形式主義ではないつもりです。わたしとて、形式をふみ破ることぐらいは知っています。」
 ふいに眼を見開いた、とも言える工合に、彼の陰った眼差しは光りを帯びた。
「わたしも、これで、ずいぶん危い橋を渡ってきたし、綱渡りの思いをしたこともあります。その綱の上に、もしも蚯蚓が一匹逼っていたとすれば、踏みつぶして通るよりほかはありません。」
 それが、過去のことではなく、現在のことのように、長谷川には受け取られた。とっさに、反抗の気持ちに駆られた。
「どうして蚯蚓なんです。」
 柿沼の光った眼差しが、じっと長谷川の上に据えられた。
「なぜ、蚯蚓であって、蛇ではいけないんです。」
 柿沼はちょっと小首を傾げた。
「蚯蚓なら踏みつぶして通る、蛇ならよけて通る、ということもありますからね。」
「ほう、そういう意味ですか。なに、蛇だって構いません、踏みつぶして通るだけのことですよ。」
 柿沼のうちには、少しも敵意は見えなかった。その眼差しはまた陰ってきた。然し、なにか決定的な距てが二人の間に置かれた。
「これだけお話すれば充分です。」柿沼は独語するように、そして憂鬱そうに言った。「よいところでお逢いしました。ここへは、しばしば来られますか。」
「いえ、めったに……。」
「そうですか。」
 柿沼は女給を呼んで、勘定を聞いた。長谷川も、自分のぶんだけの勘定を払った。そして一緒に立ち上った。
 スタンドの前を通って、薄暗い階段口のところで、柿沼はちょっと足をとめた。
「あ
前へ 次へ
全49ページ中33ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング