ように思われました。いつも私は、あの人の眼からではなく、あの人の持ってる不吉なものから、狙われているような気持ちでした。あの人が伯母さんの家に一度も姿を見せなかったことが、却って、私には薄気味わるく思われるのでした。
そういうところへ、全く思いもかけない通知が参りました。柿沼から私へ宛てたものです。
信州の高原地の療養所にいた常子さんが亡くなったのです。常子さんというのは、柿沼の奥さんです。二人の娘さんは数日前から先方へ行っているが、柿沼もすぐに行き、あちらで火葬にして、帰ってきてから葬儀を行うから、私にも参列してくれとの案内でした。文面には、ただ事務的なものしか私には感じられませんでした。
その手紙のあとを追うようにして、伊豆の兄から電報が参りました。常子さんの死亡と葬儀、私の喪服は兄が持ってゆくと、これも事務的な電文です。
私は手紙や電報をくり返し読み、一生懸命に考え、やたらに腹立たしくなり、それから、無断で、逆にこちらへ帰って来てしまいました。無断で、と申すのは、あの人たちに対してです。
伯母さんにだけは、内緒に、私の気持ちを打ち明けました。伯母さんは私に賛成もせず、反対もせず、黙って聞いてくれて、悲しそうに眼をしばたたいていました。
あなたには、ただ急用が出来たからとだけ申しました。柿沼や兄や常子さんなど、私にとってはもう過去のものを、あなたとの間に介在させたくなかったのです。過去をして過去を葬らしめよ。けれども、いずれ詳しくお知らせするという約束を、少し後れましたけれど、今ようやく果すことが出来るようになりました。東京駅でお別れする時、あなたはとても美しい眼つきをしていらっしゃいました。男のかたは、悲しい時や淋しい時の方が、美しい眼つきにおなりになるものなのでしょうか。あ、よけいなことを……御免あそばせ、と申さなければならないほどふざけているのではございません。あの時のあなたの眼つきは深く私の心に残っておりますし、それにお応えして、この手紙を書いております。
さて、簡単に申せば、柿沼の手紙と兄の電報とを前にして、私は葬式の光景を頭に描いてみたのです。
祭壇には、常子さんの遺骨が花や供物に埋もれ、常子さんの写真が一際高くかかげられております。たぶん、お丈夫な時の写真でしょうが、私は初対面なのです。嫉妬などはいささかも感じませんが、私はどういう
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