きが、東京にざらにあるどの水たき屋よりもまずいから、呆れたものですよ。もっとも、おでん屋風の腰掛の店で、ちゃんとした道具立でないから、無理もありませんがね。それにあの、おきゆうと……あれだってただ珍らしいだけですよ。特殊な海草から取れるものだとか、あちらの人は大層好きなようですが、ところてんをざらざらにして磯の香をつけた、それだけのもんじゃありませんか。乾製にしたお煎餅みたいなやつを、一晩水につけてふくらましたんだから、本来のものより味はおちていましょうがね。そのおきゆうと、まずい水たき、他にちょっとしたものと、酒だけですから、繁昌するってわけにもいきますまいよ。
その店に、どうしてあなたが度々飲みにいったか、そのことですよ。専門学校の英語の教師で、地位こそ低いが、相当世間の注意も惹いてる評論家だし、一時はプロレタリア運動にもシンパの地位に立っていたし、其後、文化史の研究に精進してる、そのあなたがですよ。そのあなたが、あすこへ行くと、時によって、妙に饒舌になったり、妙に感傷的に黙りこんだり、そして始終、波江さんの方に気をひかれ、眼を引かれてたじゃありませんか。波江さんもおかしい、あなたにはなかなか勘定を払わせなかったし、どうかすると、十円札一枚くらいそっと貸してくれましたからね。恐らく全部清算してみると、そんなこと帳面にもついてないから分らないが、あなたはあすこで、初めからただで飲み食いしてたことになるかも知れませんよ。それも、あなたにせよ波江さんにせよ、あなたの将来の輝かしい業績のためにとかなんとか、そんなこじつけの気持があったんなら別ですが、そんなこと少しもなく、ただだらしなくそうなったんだから、少しおかしいじゃありませんか。もっとも、私はそんなのが大好きですが、まあ普通の人間の考えとしてはですね……。だからへんな噂も立ちましょうし、へんなことにもなるんですよ。それをあなたは押し通すことが出来なかったじゃありませんか。
も少し早く、私の流儀に、宗派に、改宗なさるとよかったんですがね。平賀さんと波江さんとの中をかぎつけた時の、あなたの顔付は滑稽でしたよ。平賀さんが、四五人客のいる前で、小さな紙包を波江さんに渡すと、波江さんはそれを受取って、すぐにしまいこみましたね。ところが平賀さんは平気で、その紙包みの中のものを、あなたに向って吹聴したじゃありませんか。堀ノ内
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