ことじゃないでしょうよ。」
「それだって、いつも附いて廻らなくてもよさそうじゃありませんか。少し甘いんですね。」
「甘いというより、心配なんでしょうよ。片方は、附いていて貰えば心丈夫だし、片方は、附いていなければ不安心だし、まあ、仲がよすぎるんですよ。」
「仲がよいのは結構なことですけれど、わたしには、なんだかよく分らない……。」
 結局、よく理解出来ないという結論になってしまった。

 内山と朋子が峠の茶屋に来るのは、必ずしも毎日のことではなかったが、後には、少しずつ間を置く傾向が見えてきた。その代り、酒量は殖えてきた。そして、銚子五本を越えると、もう止度がなかった。頑として腰を落着け、おしまいにもう一本と切りぬけ、六という数は面白くないから七にしよう、それよりは八が末広がりでよかろう、八も半端だから十にしてしまおう、打ち止めにもう一本と、巧みに飲み続けた。酩酊の程度は五本でもう充分で、あとは惰性みたいなものだった。
 朋子はつつましく控えていて、杯の数少く相手になっていた。もうおやめなすってはと、やさしくたしなめながら、内山の相手をしてるのが楽しそうな様子でもあった。煙草が無くなると、すぐに買いに行った。灰皿が一杯になると、掃除を頼んだ。内山が口淋しそうにしてると、鮨でも取りましょうかと言った。万事に細々と気を配っていた。
 内山は酔っ払うと、往々にしてひどく饒舌になった。おばさんや娘さんにくどくどと話しかけ、見知らぬ客へも話しかけた。ソバを食べに来る客たちだから、長居はせず、しばしば入れ代ったが、その誰へでも話しかけた。時によると、中途でふいに黙りこんで、ひどく不機嫌なのか立腹してるのか分らぬ顔つきになった。帰ろうとただ一言、ふいに立ち上ることもあった。
 或る夜、内山が饒舌になってる時、彼と顔見知りの中村がはいって来た。砂利一件の時に来合せていた粗末な洋装の女の亭主だった。彼はもうだいぶ酒気を帯びていたが、焼酎を取り寄せて貰ってソバを肴にして飲んだ。
「内山さん、だいぶ御機嫌のようですね。」
 内山も愛想よく返事をした。
「どうも僕は酒を飲むと、ひどくお饒舌りになりましてね、そのくせ、何を饒舌ったのかさっぱり覚えていないもんだから、あとで困るようなことが起ります。」
「そりゃあ御同様……酒の上のことは、なんでもこう、さっぱりするに限りますよ。聞いたことや見たことを、後々までしつこく覚えてるやつにはかないません。」
「然しそんなのは、生酔いですな。」
「ところが、酔えば酔うほど、その時のことをはっきり覚えてるのがありますよ。うちの女房なんかその方でしてね……。奥さんはどうですか。」
 朋子はただ微笑しただけで、何とも答えなかった。
「もっとも、奥さんはちょっと内山さんの相手をなすってるだけで、ほんとにお酔いなさることなんかないでしょうけれど……。」
 中村は眉間に皺を寄せて、何やら考え込んだ。それから暫くして、ふいに呼びかけた。
「内山さん、あなたがたのために、わたしはとんでもない迷惑を受けましたよ。」
「ほう、そりゃあ初耳ですね。」
「そうでしょうとも。こんなこと、わたしはまだ誰にも饒舌ったことがありませんから。」
「そんなら、当人の僕に最初にお饒舌りなすったら、どうですか。」
「さあてな、そうしましょうか。」
 中村は内山と朋子の方を眺めながら、なかなか言い出さなかった。
「つまり、その……。」
 考えをまとめるかのように間を置いた。
「つまり、あなたがた二人が、あまり仲がいいものだから、女房のやつ、焼餅をやきましてね……いや、焼餅というわけじゃありませんが、あなたがたのことを例にとって、わたしをさんざんに責め立てるんですよ。」
「そりゃあ、僕の方は濡れ衣ですな。」
「内山さんと山田さんお二人をご覧なさい。正式に結婚もなすっていないのに、あんなに仲よく、いつも連れ立って歩いていらっしゃるじゃありませんか。あなたはどうですか。結婚したてこそ、ほんのちょっとやさしくして下すったが、あとはもう見向きもしないで、一度だって、物を食べに連れて行ったり、映画を見に連れて行ったりしたことが、ありますか。わたしはまるで女中同様で、そして御自分はさんざんふしだらをしていらっしゃるじゃありませんかと、そんなことを言い出しましてね、ひどくおかんむりなんです。もっとも、わたしの方にもちょっと後ろ暗いことがあるにはありましたが、大したことじゃありません。とにかく、何か不平がある度に、内山さんをご覧なさい、内山さんをご覧なさいとくるんで、被害甚大ですよ。」
 おばさんが、調理場から声をかけた。
「中村さん、そりゃあ、あんたの方が悪いんですよ。もっと奥さんを大事にしてあげなさい。こないだもわたしのところに来て、こぼしていましたよ。」
「然しあいつ
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