と渡る凉風だったが、それに気付いて見廻すと、空の色、海の色、蝉の声、虫の声、凡てが秋の気を帯びていた。そして、海浜の松林の中に孤立した旅館では、滞在客がいつのまにか帰り去ってしまって、家の人以外には、私一人置き忘られたように、ぽつねんと居残ってるのだった。
 広々とした平地の海浜には、夕方の薄明がない。日のあるうちはぱっと明るいが、その日が見る見るうちに西の地平線へ沈んでしまうと、すぐにとっぷりと暮れている。それと同じに、夏と秋との間の薄明がない、と云えば変だけれど、ぎらぎらした夏から澄みきった秋へと、一飛びに季節が移ってゆく。少くとも私はそう感じて、広いがらんとした室の中に、驚いて眼を見張ったのだった。
 秋の突然の訪れは、人の心をしみじみと落付けさせる。私は初めて夜遅くまで、机に向って仕事をした。それに疲れてくると、何とのう眠るのが惜しまれて、書物を出して読み耽った。いろんな種類の小さな虫が、一枚閉め残した雨戸の口から、電灯の光をしたって飛び込んでくる。それが電灯のまわりから机の上一面に、渦巻き撒き散らされる。不思議なことには、蚊は一匹もいなかった。
 虫が書物の間に挟らないよう、
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