、また十一谷君から私を見たら、本当に文学をやってるのかどうか危っかしく思えたことであろう。こういう点について、十一谷君とゆっくり話し合うことのなかったのを、ひどく心残りに思うのである。
十一谷君の最後の絶筆は、朝日新聞の「花より外に」であった。三十九度もある発熱のなかで、解熱剤をのみのみ、六月の暑い日に、障子をしめきり布団の上に起き上って、あの洗練さと精緻さとをくずさずに毎日書き続けた精進は、見る者に涙を催させるものがあった。当時の主治医は病気を軽く見ていたようだが、レントゲン写真に依ると、既に右肺の大半と左肺も点々と結核に犯されていた。十一谷君は回復を確信していたが、入院生活ではその確信がもてないと云って、自宅療養を続けた。
昨年の末、逗子から秋谷に移転した当時、十一谷君の確信は実現しそうな様子だったそうである。丘の中腹にある瀟洒な家で、二階には小さなサンルームがついていて、其処から日の出が見られ、家の後方二間ばかりの坂を上ってゆくと、海に沈む日が見られた。私が訪れた時は、「何よりもただ太陽……太陽を信仰するのだ。」としみじみ語っていて、丁度夕刻になったので、夫人と三人で後ろの坂
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