を上っていって、海に没する夕陽を雲の切れ目に眺めかつ拝んだ。
今年になって、私はいろいろな雑用に追われ、心ならずも見舞を怠っていた。夫人からは時々手紙をもらい、十一谷君自身からも一二度手紙をもらった。然るに三月半ばから、喉や腸に故障が起ったらしく、四月初めに私は見舞うことを予報していたところ、四月一日夕刻から急に容態あしく、二日の午前十時半、夫人に守られながら事切れてしまった。日暮にかけつけた私は、夫人に対して一言の言葉も出なかった。死顔はキリストに似ていて、あの独特なへんに人なつっこい若々しい笑みは底に潜んでいた。
火葬に付した時、頭蓋骨が仄白く原形のまま目立っていた。骨上げの老婆は「頭の丈夫なお方でしたな。」と云いながら、骨壺の中に他の遺骨を納めた上から、大きな白い頭蓋骨をすっぽりとかぶせた。――その丈夫な頭の中に宿っていたところの、掏摸で俳人で墓石の研究者たる大江丸旧竹の生涯も、材料は揃っていながら書かれずに終ったし、病床でノートに書きつけていた自叙伝的随筆も、数頁だけで終ってしまった。
遺族は春子夫人と四歳の町子さん。戒名は清藤院義徳良元居士。墓地は神戸。告別式が終ってま
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