而も十一谷君は、蝋引きの吸口を必ず用いて、普通の愛煙家のようにじかに吸うことがなかった。或る時、母堂の心配そうな打明話によると、眼や顔をふくハンケチが茶色くなり、便所の朝顔も茶色くなり、襯衣も茶色くなり、つまり全身から煙草の脂《やに》が吹き出してるらしいとのことだった。それには私も驚いたが、本人は平気だった。徹夜をして、黎明の頃に、バットの真髄が分るのだと云っていた。身辺にまきちらしたバットの空箱の、金の蝙蝠と緑の地紙とが、黎明の光に何とも云えぬ色合を呈し、手の指先が金粉に染められていると共に、恍惚たる感を与えるのだとか。それほど好きだったバットも、肺を病んでから、昨年の初夏の頃以来、殆んど止めていた。「吸うと苦しいから自然にやめた。」と云って淋しい顔をしていた。そして十ヶ月後、春子夫人の手で棺の中に、バットが三箱入れられたのである。
 十一谷君は仕事に対して入念だった。「唐人お吉」以後歴史物に手をつけるようになってからは、文字の駆使、表現技法などに、独特の精緻な風格を増してきて、「読者の眼を廻させるスタイルだ。」と或る人に云わせるに至ったが、そればかりでなく、材料の蒐集研究に一方なら
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