ることも屡々だったらしい。仲間は故令弟活太郎君をはじめ、身辺の若い人たちだった。私も三四度加わってみたが、あの面倒くさい勘定がよく分らず、象牙と竹と張合せの牌の感触を楽しむ域に達せず、ただがちゃがちゃと騒々しく忙しいだけなのに癇癪を起して、「麻雀は娯楽でなく無益な労働だ。」という説を立てて非難したが、十一谷君は抗弁もせずにただ笑っていた。
 ふだん、書斎で、十一谷君はしきりに茶をたしなんでいた。それも玉露の香ばしいやつで、夜更しをする時などは、何よりも茶が必要だったらしい。あの禿げあがった額、痩せた体躯、腰をまげ加減な姿勢などを、茶とむすびつけて、私は冗談に「茶老人」と呼んでいたこともあるが、その茶老人、私から皮肉られても、ただにこにこと、静かな微笑を見せるきりだった。
 十一谷君の愛煙は世に有名である。必ずバットに限るのであって、それを一日に少くとも十五箱は吸っていた。遂には、バットの模様の二匹の蝙蝠をつけた原稿用紙を、わざわざ拵えさしたほどだった。一日に十五箱といえば百五十本、睡眠時間や食事其他の時間を差引いて、一時間に幾本、一本が幾分と、つまらない計算を私はやってみたこともある。
前へ 次へ
全11ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング