「あらどうしたの、お腹《なか》でも痛いの、」と云って顔を覗き込まれると、彼女はくるりと向うを向いた。訳が分らなかった。兼子は試みにまたカステイラを持って来さして、手に掴らしてやった。依子はそれを放り出した。「あら、何かすねてるのね、」と兼子は云った。そして菓子を無理にその手へ握らせようとした。依子は執拗に頑張った。「すねるものではありませんよ、」と云われると、急にわっと泣き出した。何とすかしても泣き止まなかった。女中が背中に負って、表へ出てみた。いつまでもしくしく泣いていたそうである。
「どうしたのでしょう?」と兼子は云った。
「屹度、」と彼は答えた、「一つだけ食べて、一つは後まで楽しみに取っておくつもりだったんだろう。」
「そんなら、すぐにまたやったからいいじゃありませんか。」
「そうだね。」
 それ以上のことは彼にも分らなかった。恐らく子供に対する態度の違い、家の中の状態の違い、だろうとだけ想像された。彼は前に何度も母から聞いた話で、三田の家の内部を、敏子と依子との生活の有様を、推察しようとした。然し確かな大事な点は少しも分らなかった。
 三田から帰って来た幾代へ、彼は種々尋ねてみ
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