ないことだ。……そこまで考えた時彼は、なお一層不貞な自分の姿を見出した。その考えは、兼子をも敏子をも共に辱めるもののように思えた。彼は何処まで自分の心が動いてゆくか恐ろしくなった。急いで家の中にはいった。
 茶の間へ行くと、兼子がぼんやり坐っていた。何かしら口を利かなければ、自分で自分が苦しかった。
「雨が降ってきたようだね。」と彼は云った。
「そう。」と彼女は気の無い返辞をした。
「この雨ではもう花も駄目になるだろう。」
 彼女は黙っていた。
「明日《あした》書斎の花を取換えてくれない? もう凋んでしまったから。」
「水上げが悪かったのですかしら。」
「そうかも知れない。……ほんとに嫌だな。雨か曇りかが多くて。」
「なぜ? お出かけなさるの、明日は。」
「いや出かけはしない……。お前達こそ、これから依子を方々へ引張り廻わすつもりじゃないのか。」
「そのつもりですわ。」
「もう依子は寝たのかい?」
「ええ、先刻《さっき》。」
「一晩余計母親と寝られるので……。」
 彼は云いかけてふと言葉を途切らした。兼子は顔を挙げた。眼が濡んでいた。睫毛の黒い影がはっきり見えるようだった。彼は黙って彼
前へ 次へ
全82ページ中52ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング