いた。それから静かに眼が開いて、田宮の顔を見た。ただ無心に眺めてるような風だった。ふいに涙がはらりとこぼれて、眼はまた閉じた。田宮は手探りに彼女の手を執ったが、その手はだらりと任せられてるきりだった。何も言うことはなかった。
 百合子にはまだ、事情がはっきり分っていなかった。
 五日後、久子は退院して自宅で静養することになった。
「暫く、考えさして下さい。あなたも考えておいて下さい。一週間ばかり、お目にかからないことに致しましょう。」
 久子のその申し出を田宮は素直に受け容れて、この山奥の丸沼温泉に来た。
 考えることは何もなかった。考えないために、すべてを頭の外に放り出しておきたかった。そしてただ感じたのは、久子のない生活というものが無意味空虚であるということだった。過去にずいぶんでたらめな生活をしてきた田宮にとっては、この愛情の発見がいささか意外でさえあった。
 彼はその時を、何の時かもよく分らぬその時を、ただ待っていたい気持ちだった。そして、ただ待つということは、死を思うことと、紙一重で相通ずるものだと知った。ほんの一歩の差で、彼は自決しかねなかった。
 それにしても、中心からそ
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