、だいぶ衰弱してるようだった。それを無理やり、往来の方へ追い出した。
それから暫くすると、その仔猫が、こんどは物置の屋根の上に登っていた。田宮は腹を立てて、物干竿で叩き落してやった。猫は鳴きもせず、逃げもせず、地面に蹲まってしまった。そこへ女中が来て、猫を竹箒の先で掃き去るようにして、往来の可なり遠い所へ追っ払ってくれた。
それは夕方のことだったが、その翌日、用達しから帰って来た女中が言うのには、あの仔猫が焼跡の路傍にしゃがんでいたそうである。それを聞いて、田宮は眉根をしかめた。
仔猫はおそらく、一晩中、その辺にじっとしゃがんでいたのだ。家にも入れて貰えず、食物も与えられず、しょんぼりと何かを待ちながら黙りこんでじっとしていたのだ。いったい、何を待っていたのであろうか。そしていつまでそうしていることであろうか。
その仔猫の姿が、はっきり脳裡に浮んだ。今もまた、湖面の残照の中に蘇ってきた。浅間しいというよりは、哀れな悲しい姿だった。
田宮自身、この大自然の中にあっては、哀れな悲しい者と自ら思われた。ホテルの横手に楡の喬木の林があり、その中に踏み込むと、ただほろ寒かった。盛夏でも気温二十度以上には昇らないという土地の故ではなく、空を蔽う欝蒼たる森林の気に圧せられて、自分自身が卑小に卑小に感ぜられた。その林から出て、また湖畔の道を辿りながら、あまり見馴れない樹木、桂だの沢胡桃だのを探しあてても、感興は湧かなかった。湖に注ぐ渓流の音はかすかであり、小鳥の声が時には聞えても、その姿は見えなかった。
人の世の営みが、すべて微小に見えた。そしてここには、一種の哲人めいた若者がいた。
丸沼と菅沼の間、トラックの通る本道を行けば相当の距離がある。だが、近い裏道が開けていた。金精峠の麓、菅沼湖畔の山の家の所から、小舟に乗って湖を突っ切る。左手遙かに日光奥白根の秀峰を仰ぎ、右手の岬の先端に聳えてる[#「聳えてる」は底本では「聾えてる」]八角堂の廃屋を眺め、湖の胴体に出て、それから南岸に上る。ここから丸沼の東岸まで、渓流沿いに急峻な坂道を下るのである。ここの所を、俗に八丁滝と呼ばれている。旧道程で八町の距離。渓流は菅沼の水が丸沼に注ぐもの。戦時中はここに小さな水力発電所があった。菅沼と丸沼との水位の差は三百メートル近くあり、その水が僅か八町の距離で流れ落ちるのだから、至る所に
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