た。初めはおとなしく寝ていたが、長引くにつれて、さすがに気持の焦れが出て来たらしかった。
「あたし、いつ癒るかしら……。」
ぽつりと言って、父の田宮を縋りつくようなまた訴えるような眼で見上げた。
「そうだなあ……。」
綾子の視線を避けて、障子の腰硝子から庭に眼をやると、その片隅に、一叢の山吹が薄緑の若葉をつけていた。
「あの山吹の、花が咲く頃までには、癒りますよ。きっと癒る。」
「山吹……。」
そう呟いて、弱々しく頬笑んだ。
然し、その山吹の花が咲いても、花が散っても、綾子の病気は癒らなかった。ばかりでなく、次第に悪化していった。彼女は山吹の花のことをもう二度と言い出さなかった。田宮の言葉に希望を繋いではいた筈なのに、花が咲きそして散ってゆくのを見ながら、何とも言わなかった。内心では、諦めの念が濃くなっていったのであろうか。
愚痴一つこぼさず、癒るかとも癒らないかとも聞かず、静かに寝ていた綾子の姿が、山吹の花の黄色に通う湖畔の雑草の花に、湖心の眼を通じて定着するのだった。そしてその処置に、田宮は迷った。
夕頃になると、西の山の端に没した太陽の残照が湖面に流れることがあった。水面とも水中浅くともつかず、ゆらゆらちらちらと、その残照はしばし漂い、そしてあちこちに小さく別れて、次々に消え失せていった。美しくもあり儚なくもあった。
だが、その残照の消えがたに、いやなものの姿も見えた。水面すれすれの水中に、ちらと見えた。
やはり綾子の病中だった。仔猫、といっても、もう可なり大きくなってる赤毛の猫が、どこからかやって来た。迷ったのか捨てられたのか、とにかく野良猫ではなかった。それが庭で何か食べていた。よく見ると、家に飼ってる猫の一匹が吐き出した食物だ。猫というものは、始終体の毛を嘗めるので、その毛が胃袋にたまると、草の葉や笹の葉を呑みこんで自ら胃袋を擽ぐり、飯粒などと一緒に毛を吐き出すことがある。その飯粒の塊りを、外来の仔猫が食べていた。もともと、毒物とか病気とかのために吐いたのではないから、害になるものではないが、それをむしゃむしゃ食べてるところは、浅間しくもあり穢ならしくもあった。きっと空腹だったのだろう。
田宮はいやな気がして、その仔猫を竹箒で追っ払おうとした。ところが図々しい猫で、箒の先でつっ突いてもなかなか逃げようとしなかった。図々しいというより寧ろ
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