鮮かな紅葉である。
私は身も心も硬直する思いをし、とっさに平田を顧みた。
「ほう。」ただ一言、それも殆んど感情のこもらぬ歎声を発して、平田は前屈みに、あちこち頭を動かして眺めている。私には何とも言ってくれないし、どこかを凝視するのでもなく、呆けたように視線をばらまいているのだ。
その時から、私が期待していた心の的は、どこか遠くへ消えていった。山上の湖水の清冽な空気が、平田には強すぎたのであろうか。それとも、男とは、四十すぎの分別男とは、そういうものなのであろうか。旅館が遊覧客で混み合っているのもいけなかったかも知れない。然し私達はわりに静かな室に案内された。泊り客が少くひっそりしていたとすれば、どうだというのだろうか。平田はへんに情熱を失っていた。東京から二十時間足らずの汽車の旅に、疲れるほどのこともあるまい。前夜は山の下で、ゆっくり眠ったのである。そして湖畔の旅館では、酔ってうっとりしてる彼を、ああ、恥しくも私の方から揺り起した。彼は俄に年老いたようだ。年老いて愚かにさえなったようだ。あの精気と智慧とはどこへ行ったのであろうか。
月光はいくら明るくても、少し遠くの物のけじめはな
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