も知れなかった。だけど、真昼間、すぐ人目につくところで、身投げなどするものか。
「大丈夫よ。今は。」
 こちらを向いた彼の眼へ、私はまた言った。
「一人じゃ、いや。」
「分っている。僕も一人きりになるのはいやだ。危いから、こっちへおいでよ。」
「じゃあ、どうするつもりなの。」
「あとで、ゆっくり相談しよう。」
 なにをまだ相談することがあるのかしら。約束した筈ではなかったか。私がじっと見つめていると、彼は言い直した。
「もっとよく、考えてみよう。」
「生きること? 死ぬこと?」
「どちらだって、同じだよ。分ってるじゃないか。さあ……。」
 差し出された手には縋らないで、私は崖縁から身を退いた。
 そして立ち上った。
「ばかね、あなたは。わたしがここから飛びこむとでも思ったの。」
「思やしないよ。」
「思ったでしょう。」
「そんなこと思わないから、危いと言ったんだよ。」
「では、あやまって落っこったら。」
「ほんとに危い。」
「ほんとに危い。……」と私は繰り返してみた。
「もう行こう。」
 なんという愚かな会話だったろう。私はもう彼をからかうのはやめようと思った。彼はへんに憂欝になったら
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