い中年婦人がいる。日蓮宗の信者で、さる修験者について修業をし読経中ばかりでなく、日常の間にも、ふっと精神統一の境にはいることがある。そして霊感で得る言葉を口走る。予言的なことがよく的中する。人の生死を言い当て、吉凶を予見し、ものの怪のたたりをあばきだす。勿論彼女は、普通の行者のようにそれを業とはしない。頼まれても頼まれなくても、自然に発するのだ。その婦人が、よその家で、平田の奥さんに向って、危難を免れる、と二度ほど口走った。何のことやら、彼女自身にも奥さんにも分らないのだ。解釈はどうとも御自由だというのである。そのことを、奥さんは平田に話した。丁度私の夫が、私の恋愛の相手を殺すとか殺さないとか、いきり立ってた時のことだ。平田は私に笑い話として伝えた。だが私は胸にこたえた。私は日蓮宗を信ずるのでもなく、霊感とか霊気とかを信ずるのでもないが、その婦人に逢ってみたくなった。平田はてんで取り合わなかった。彼にとっては、すべて迷信なのだ。
迷信排除と、理論的訂正。
平田は唯物論者なのだ。それもよい。だけど、思いつめたあげくのこの山上の湖水で、強い精神的閃めきを私は彼に期待した。唯物論者にも精
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