のよ。自分の勇気をためすのよ。あなたの勇気をためすのよ。」
「勇気なんかいりゃあしないが……。」
 彼はちょっと考えたが、肩にかけてるオーバアをぬごうとした。
「もういいの、いいのよ。」私はあわててとめた。
 梯子のそばをぬけて、道路に出た。
 道路の片側に、小さな溝があり、養魚池から来る水がちょろちょろ流れている。この僅かな水流にまで、鱒はさか上ってくることがある。湖水にそそぐ土管をくぐり、瀬を跳ねあがり、窪み窪みを辿って、浅いところは背中を半ば出して砂上を匐うように泳ぎ、産卵のためにさか上ってくる。そういう一匹を私は見つけた。それは本能からであろう。無我夢中でもあろう。然しなんという勇敢な積極的なことか。それは恋愛をする女性の姿だ。
 私はもう、恋愛をしていないのであろうか。
 男性はどうなのか。平田はどうなのか。
「鱒を見にいきましょう。月の光りで見たら、どんなかしら。」

 道路から少し上ったところに、コンクリート造りの池が幾つも並んでいる。春夏は鯉や鮒が飼ってあるそうだが、秋には姫鱒がいっぱいはいっている。産卵に戻って来るのを、地引網で捕えて、雌雄よりわけて放ってあるのだ。上
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