彼はまったく、私の言う通りになるだろう。私が黙って歩きだせば、私のあとについて来るだろう。湖水の中にすっとはいってゆけば、深い底までもついて来るだろう。そう私は感じた。そしてそのことが、月光の中で、私を孤独にした。
 私は立ち上って歩きだした。彼はすぐ後ろについて来た。
 掛け網が幾つも並んで、木に渡して干してある。そのわきに、高い木梯子が、櫓のように立っている。添木でとめて地面に定着さしてある。魚見の櫓だ。ここは姫鱒の人工養殖所で、孵化した稚魚を湖水に放流すれば、育った親鱒は三年後に、その回帰性によって、放流された場所へ産卵に戻ってくる。群れをなして戻ってくる。その魚群の到来を見極める魚見の櫓だ。
 その梯子へ、平田はこないだ、数段だけよじ登ったことがある。何も見えないと、すぐに降りてきた。
 梯子は夜空に白々とつっ立っている。
 私は立ち止り、じだんだふむような気持ちで言った。
「あれに登ってみて下さらない。いちばん上までよ。」
 彼は怪訝そうに私の顔を見た。
「自分で登りたいんだけど、危なっかしいから、代りに登ってみてよ。」
「そんなこと、何の役にもたちゃあしない。」
「ためす
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