。その心と肉体とを三木はいたわりつつ、死亡より一週間ばかり前に退院さしてやった。この前後のことについて、三木の大きな温い心尽しが感ぜられる。
 三木自身も、どうせ亡くなるものなら、せめて、一週間ばかりでも自宅で静かな気息をさしてやりたかった。拘置所で、彼は独り、何かをじっと見つめていたらしい。身辺のことについても、縁故者として東畑精一氏の名前を挙げただけで、誰の名前も告げなかった由である。そうした三木に対して、吾々は数々の心残りを感ずる。
 獄中での彼の急逝について、それを、哲人的な高い悲運と観ずる気持ちには、私は到底なれない。ただ残念である。彼自身も残念であったろう。

 生前の三木の仕事としては「構想力の論理」を頂点にあるものとしたい。然しそれさえも、第一部が出版され、第二部が原稿として出来てるだけで、而もまだ未完である。所謂三木哲学の大成は、すべて今後に俟たねばならなかった。
 専門的なことは私には分らないが、俗眼を以て観れば、三木にあっては論理と直観とが同一線上に合体しているかのようである。この点、吾々文学者が彼の著述に心惹かれる所以である。
 著述は別として、彼は日常、達識に
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