は多岐多面である。だから一般に彼は、なにか親しみ難い怪物的なものに見えたようだが、人柄は実践的なヒューマニストであった。
彼の断片的な評論の多くは、一種のモラリストを浮出させる。茲にモラリストと言うのは、社会万般の事象を人間としての立場から批判する知性、ヨーロッパに於ける十七八世紀あたりのそれを指す。これもまた彼の表現がオルソドックスな形を取った所以でもある。このようなモラリストは、本来的にヒューマニストである。
ヒューマニストたる三木の性情は、日常では、何等のポーズも取らない素朴な態度として現われていた。彼には全くポーズというものがなかった。ありのままの素朴さで吾々に接した。深い叡智と高い知性で饒舌りまくることはあっても、また鋭く人の虚を衝くことはあっても、そしてそのために一部の人々から敵視せられることもあったが、彼自身はただ虚心坦懐に振舞ってるに過ぎなかった。彼に対してはすべて、如何なることがあっても怒る方が無理だ、と常に私は思っている。
言論の上に於て、彼は余りに多くの対象を取り上げすぎたかも知れない。然し日常の私的生活は、余りにといえるほど控え目だった。最初の夫人を亡くし
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