は時には無謀大胆で、そして常に勇敢で、威令を振いました。ところが或る日、湖水のほとりで、死体となって横たわっているのが、発見されました。背中に二ヶ所、銃弾を受けていました。
范志清の葬儀は、その民兵団の公葬となりました。阮東は、ただ沈鬱に黙々として、葬儀を主宰しました。
死体は、楠の大木のくりぬきの箱に、朱を塗って納められ、五寸ほどの厚みの楠の蓋が、鎹で留められました。墓地は、本人の姓名と生年月日とで占われることもなく、ただ阮東の見立てにより、湖水のそばの小高い丘の上に定められ、やがて、柩を埋めた上に煉瓦の廟を築くように準備されました。木蓮の花が式場一面に飾られ、むせかえるような芳香でありました。遠くから迎えられた大禅師が読経一切を指揮しました。
葬儀万端、盛大に滞りなくすみまして、その夜、さめざめと泣いてる中敏と、すやすや眠ってる二歳の子供との枕頭に、阮東は腕を組んで、いつまでも坐っていました。中敏が泣き疲れて眠ってからも、なお夜通し坐っていました。眼を見据え、眉根をよせて、何か或る想念を、幻像に喚起しようとしてるかのようでありました。時々、酒をのみました。
夜の明け方、彼は
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