は一人で……。
 孝太郎は悚然として眼を見張った。危険だ! という思いが彼の脳裡に閃いた。
 孝太郎は馳けるようにして、寒い空気を衝いて家に帰った。何にも彼の眼には入らなかった。そして彼はいきなり富子の部屋の襖を開いて、其処につっ立った。
 富子は火鉢にもたれてじっと坐っていた。その前には縫いかけの何かの布《きれ》が放り出されていた。
 彼女は静に顔をあげて孝太郎を見た。然しその眼にはいいようのない不安の光りがあった。
「どうなすったんです、」と彼女は口早にいった。
 孝太郎は茫然と自失して棒のようにつっ立ったまま大きく見開いた眼を漠然と富子の上に据えていた。
「どうなすって?」と富子はくり返した。
 と突然物に脅えたように富子は立ち上った。
 孝太郎は駭然とした。そして殆んど本能的に富子の前を逃げるようにして二階の書斎にかけ上った。それから彼は机の上によりかかるようにぐたりと坐った。
 彼の頭の中で何かががらがらと壊れるような気配がした。そして頭に一杯満ちていた潮が急に引いたように思えた。凡てのことがぼんやり彼に分ってきた。
 胸にはまだ高く動悸が打っていた。その中で彼はきれぎれに悪
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