下を歩いていると、すっと一筋の蜘蛛の糸が彼の眉のあたりに懸った。手を挙げて払ったが、幾度してもやはりその細い糸が眼に懸っているような気がした。何かちらちらと光っている枝葉の間を透《すか》して見ると、朧ろな月がぼんやり空に浮んでいた。
孝太郎の混乱した頭に、富子と恒雄と彼自身の姿が浮んだ。三人のまわりには脱すべくもない惑わしが立ち罩めているような気がした。いつまでもじりじりと苦悩にせめられて生きるであろう。遁るべき道はもはや一つもない、何処にもない。ただ……。孝太郎はその時凝然として立ち止った。
彼は富子の死をふと考えたのである。富子が居なければ二人は助かるであろう。そして凡にやさしい愛が蘇るであろう。然し彼女はどうして死ぬであろうか。劇薬、短刀、拳銃、溺死、縊死、何れも皆彼女にはふさわしくない。然し屹度彼女は死ぬる……。
孝太郎はいつのまにか、富子が死を決心しているもののように思い耽っていた。彼の頭にはある機会をねらっている彼女の姿がはっきり浮んだ。そして恒雄の言葉が思い出された、「何かをひそかに計画でもしているようだ。」……今恐らく恒雄はまだ家に帰ってはいないだろう。そして富子
前へ
次へ
全44ページ中42ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング