かに胸をわくわくさせながら、恒雄を呪い、また富子を呪った。呪いながらも彼はいつしか富子の姿を眼の前に想い浮べていた。そしてそれに沈湎してゆくと共にある重苦しい恐怖を感じた。底知れぬ悩ましい淵を覗いたような気がしたのである。

 ある寒い夜、孝太郎と恒雄とは外套の襟を立てて一緒に街路《まち》を歩いた。
 その夜、富子がどうかして恒雄の薬瓶を壊したのである。三人は黙ってつっ立ったままつね[#「つね」に傍点]が畳を拭うのを見ていた。
「お薬が溢れますと御病気が早く癒るとか申しますよ。」とつね[#「つね」に傍点]が云った。
 然し誰もそれに何の答もしなかった。そして恒雄と孝太郎とは云い合したように一緒に散歩に出たのである。
 彼等は一言も言葉を交えなかった。互の心には、しきりに胸の奥へ奥へと沈みゆくような思いがあった。そしてただ歩くことそのことが、彼等の思いを軽く揺った。
 薄い靄の立ち罩めた夜であった。軒燈の光りが寒く震えていた。そして月が朧ろに暗い空に懸っていた。行き交う人は皆堅くなって爪先を見つめながら足早に通りすぎた。
「僕はこの頃生活が厭《いと》おしうなって来た!」と恒雄は搾り出すよ
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