分りになっては被居らなかったでしょ。」
「先《せん》には分っていたようです。」
「え?」と富子は急に孝太郎の方を向いた。
孝太郎は何か彼女の眼の中に恐ろしいものを見た。
「あなたは此の頃すっかりお変りなすった。」
「みんなでそう私をなすんです。」
「ではなにか……恒雄さんが。」
「何を仰言るんです。」
富子はこう云って自分でも喫驚したように一寸呼吸を止めた。孝太郎はその横顔の上に震える後れ毛を見た。すると彼の心は急に堪えられなくなった。其処に身を投げ出して叫びたくなった。
「許して下さい。私は苦しいんです。」
「そんなことを仰言るものではありません。私は……いえこうしていちゃお互に悪いでしょうから。」
富子は黙って向うへ行ってしまった。
孝太郎は二三歩その後に従った。けれど突然彼は何かにぶつかったような気がした。彼は自分のまわりに冷たい壁と、それから自分のうちに熱い呼吸とを、殆んど同時に見たのである。そして喘ぐような処で、庭に一杯さしている弱い尖った日の光りを見やった。
孝太郎はまたも茫然と佇んだまま富子の姿を思い浮べた。執拗な沈黙と孤独とが、何時のまにか彼女のまわりにたれ籠
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