屈めて富子の背に手を置いた。
「どうしたんです……え?……え?」
富子はやはり黙ったまま涙を落した。
「私はどうしていいか分らない。何とか仰言って……え、何とか。」
と富子の涙はぴたりと止った。彼女の眼は空間を見つめたまま動かなかった。そしてはっきりした調子でこう云った。
「あなたは恒雄よりも残酷な方です。」
二人はじっと互の眼に見入った。冷たい大理石のように静まって動かない頬の肉と、涙に満ちた美しい眼とを孝太郎は見た。彼女の言葉に拘らず、涙が彼女のうちの凡てを洗い静めたがようであった。それほど彼女の顔には澄みきった冷たい清らかさがあった。
「もう何もかも忘れましょう。」と富子は云った。
「え! どうして。」
「いえいいんです。」
富子は静に立ち上った。孝太郎も何とはなしに彼女と一緒に立ち上った。一瞬間二人の間に緊張したおずおずとした眼が光った。
富子はそのまま室を出ていった。
孝太郎は惘然と立ちつくしていた。やがて彼はまたぐたりと寝椅子の上に身を投げた。彼の前には暮れ方の冷たい空気があった。そして高い青空が一杯に明るい夕陽の光線を含んでいた。
落ち付いた孝太郎の頭に過ぎ
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