がね。」
「そうですね。」
然し妙な沈黙が一寸彼等の間に落ちて来た。と急に恒雄は何かしきりに袂の中を探しはじめた。
「あそうだ……一寸急な手紙を一つ書くのがあったっけ。」
恒雄は独り言のようにこう云って自分の書斎に入ってしまった。
然し孝太郎はもう余り恒雄のことを気にかけてはいなかった。彼は自分自身に大きい問題を持っていたのである。
富子の様子が次第に変って来た。彼女は孝太郎に対しても大層言葉少なになった。然し彼女は彼の心をじっと探り当てようとでもするかのようであった。時々そっと覗くように彼の方を見る彼女の眼がそれを示していた。孝太郎はいつもそういう彼女の眼差しの前にたじろいだ。
孝太郎はよく自分の書斎の机に靠れて、日のさした障子の紙を見つめながら、富子と自分との間を考えてみた。進むか退くかどちらかに決定しなければならない問題が其処にあった。富子が暗々裡にその解決を迫っているのが彼にはよく分っていた。それでもいつまでも愚図愚図と引きずられるような日が、二人の間に過ぎた。
孝太郎は男女の恋愛、殆んど盲目的な不可抗な力に支配せられて男と女との心が結びつく力強い恋愛、そういうもの
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