のです。それを僕はなぜだなぜだと云って妻に責めまた自分に責めたんです。現実の姿に向って何故だと問うのは過去を現在に返せというのと同じに馬鹿げたことなんですね。で僕はもう妻に向ってなぜ僕の理想通りでないのかと責めはしませんでした。その代りに富子という者と僕という者とを別々に引き離して見てみたんです。すると僕と富子とはどうしても相容れない二つのものだと思うようになったんです」
「するとあなたは全く孤独を見出されたわけですか。」
「いや全くの孤独というものを僕は信じません。実際僕は自分を見る時、自分のうちに妻の……そうですね、匂い、息、いや兎に角何かを見出すんです。僕のうちには妻《あれ》の肉体が深く喰い込んでいます。それにどうでしょう、僕の心と妻《あれ》の心とは全く背中合せに反対の方を向いているんですからね。」
「それはあなたが富子さんの心に触れる場所が悪いという故じゃないでしょうか。どんな人の心にも屹度ある方面から見れば温い柔い部分があると私は信じますね。そして其処からその人の心に触れる時には、手を合わしたいような敬虔な心持ちが起る筈です。そういう態度を押し進めてゆくと、しまいには愛ばかり
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