囚われ人
――寓話――
豊島与志雄

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或るコンクリー建築の四階の室。室内装飾は何もないが、ただ、大きな電灯の円笠が天井からぶらさがっていて、室中に明るみを湛えている。片側だけ窓で、窓の外は闇夜。全体が箱の中のような感じ。室の一方に、巨大な円卓があって、その端寄りに数人の男女が集まっている。彼等と向い合って、室の他方に、四角な小卓があり、正夫が坐っている。正夫はたいてい卓上に顔を伏せていて、ごく稀にしか顔を挙げない。――この一篇、単に寓話であって、戯曲ではないから、人物の言語動作、唐突なこと多く、謂わば人形芝居めいた雰囲気。その上、正夫に対して大円卓の正面に坐っている一人の男だけが、通常の人間の恰好で、その周囲にいる男女たちは、なんだか畸形的なグロテスクな様子。どんなことになってゆくのか、私(筆者)にも見当はつかない。というのは、この箱のような室内の一隅に、私はたまたま居合せていたに過ぎないからである。長い沈黙。正夫、立ち上って伸びをし、また腰を下して、卓上に顔を伏せる。円卓の正面の男、議一が声をかける。
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 議一――正夫君、退屈してるようだね。退屈は人生の最大の悪だ。そういう言葉を覚えてるだろうね。だが、まあいいや。君には、この前逢った時から、其後、一度も逢わなかったね。この前逢った時から其後一度も逢わなかったというのは、変な言い方だが、僕の実感としては真実なんだ。ずいぶん久し振りだった。変りはないかね。僕も……いや僕たちと言おう。文化会議の仲間で、ここにいるのは僕一人だが、一同を代表して言うよ。そこで、僕たちも、相変らずだ。但し、相変らずということが、停滞を意味するならば、相変らずではないと言い直さなければならない。会合毎に、一歩一歩前進してるからね。
 ――ところで、今日の会合で面白いことがあった。君も知ってる通り、僕たちの文化会議は、文化の在りかたを検討するのが主眼であって、政治問題には触れないことになっている。然るに、昨今の政治の状態は、その反動的な攻勢といい、逆コースの方向といい、もう黙ってはおられないところまで来ている。つまり、吾々の方では政治問題に触れまいとしても、政治の方から吾々の身辺に迫って来ているんだ。そういう議論が一同の間に出た。そこで、その原因は何かということになった。一口に言えば、険悪な国際情勢から来る圧力、その圧力を受けてる国家権力の歪曲、その歪曲から生れるさまざまな弾圧的立法……これはもう立派なファシズムだ。徒らに左翼と右翼との抗争のみが激化し、基本人権は侵害され、自由と平和は脅威を受ける。このまま放置しておいてよいかどうか。歪曲された国家権力に対して、何等かの抗議を提出すべきではないか。だいたいそういう結論だったが、当面の実際運動については、次の会合で話し合うことになった。
 ――これだけ言えば、正夫君、君の胸に応えるものがある筈だ。以前、君がしばしば提出していた意見と全く同じだからね。其後どうしたことか、君は殆んど会合に出て来なくなったし、たまに出て来ても、殆んど口を利かなくなった。だから、今日の会合で、会議のあとの雑談の折に、僕たちが君のことを思い出したとしても、不思議ではあるまい。誰からともなく、君の噂が出た。君がやってるあのちっぽけな旬刊新聞、「黎明」の話も出た。あれはたしか、少数の読者を相手にした文化啓蒙のパンフレットの筈だが、それが近来、頗る政治色を帯びて来た、という説もあった。どこからか秘密な資金が出てるのだろう、という説もあった。評判は香ばしくなかった。そこで、正夫君、僕は、いや僕たちは、君にはっきり聞きたいんだ。君が金銭のために身を売ったかどうか、それが聞きたいんだ。まあそこまで言わなくても、少くとも、文化会議に君が背を向けてることは事実らしい。そこで、こちらに背を向けることは、あちらに顔を向けることだ。人間は、両方に二つ顔を持ってはいないからね。いったい、君の顔は何に向いてるんだ。
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正夫はふと顔を挙げる。眉根をしかめて、かすかな苦笑を浮べている。彫りの深い容貌なので、その苦笑が不敵だとも言える印象を与える。彼はちらと議一の方を見やっただけで、また顔を伏せ、卓上に肱をついた両手の拳で頬を支え、眼は卓上に落したまま、口を利く。
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 正夫――僕の顔は地面の方を向いてる。僕の眼は足元の方を向いてる。もう暫く、僕はそうしていたいんだ。
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