いそれらの者のため、室内の雰囲気はへんに乱されて、落着かない不安なものになっていた。だから、老女の姿が現われたり消えたりしても、私にはさほど意外ではなかった。眼に見える者たちの饗宴にしても、影の人物がたくさん参加してるような感じだった。然しそれら影の人物が、なかなか姿を現わさないのは、私の甚だ遺憾とするところである。
一人黙っていた議一が、ふと、こちらを向いて顔を挙げてる正夫に気付き、その方を凝視し、そして立ち上る。
[#ここで字下げ終わり]
議一――正夫君、さっきのお婆さんは、ほんとに君のお母さんかね。本人はそのように言っていたが……。
[#ここから2字下げ]
正夫は頬杖をついたまま、もう顔を伏せず、不敵な笑みを浮べる。
[#ここで字下げ終わり]
正夫――さあどうだか、よくは分らない。
議一――なんだって。君は母親をも見分けられないようになったのか。
正夫――そっちを向いていたから、後ろ姿だけでははっきり分らなかった。
議一――そんなら立って来るなり、言葉をかけるなりして、確かめたらいいじゃないか。
正夫――その興味もなかった。
議一――興味の問題じゃない。心情の問題だ。
正夫――僕にとっては、今のところ、自分一人のことで一杯だ。然し、あのひとが言ったことは、なかなか参考になった。或は、僕になにか教えるつもりで言ったのかも知れない。ただ、世代の違いから来る不理解な点があるのは、止むを得ないだろう。
議一――どういう点が不理解なんだ。
正夫――解決の方法が違う。
議一――何の解決なんだ。
正夫――それはいずれ見せてやるよ。
愛子――あら、正夫さんが話をしてるわ。
[#ここから2字下げ]
一同は正夫の方を見る。――おかしなことに、彼等は最初立ち上った時からずっと立ち続けてるのだ。
[#ここで字下げ終わり]
酒太郎――ほう、悪びれずにこっちを見てるね。その通り、元気を出すんだ。そして、まあ酒でも飲めよ。俺たちはもうずいぶん酔っ払った。さっき、君のお母さんとかいうひとから、だいぶ意見をされたが、君も聞いたろう。面白いことを言うひとだ。酒に溺れる、煙草に溺れる、女に溺れる、仕事に溺れる、それが現代の通弊だってさ。通弊というものは、然し、時代思潮みたいなもので、一通りは身につけておくべきものだ。だから、溺れて構わん。どうだ、こっちに来ないか。それと
前へ
次へ
全19ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング