も繰り返して言ってきかせなければ、はっきり納得しない。そこを君はよく心得てるね。繰り返し繰り返し、同じことを言う。もっとも、合の手に他のことがはさまりはするが、銚子一本あける間に、同じことを四回ぐらいは繰り返す。阿呆相手には、それに限るよ。
――ただちょっと可笑しいのは、酔っ払って言ったことを、君があとでけろりと忘れてることだ。だから俺にも一抹の疑念が起ろうじゃないか。即ち、銚子一本あける間に、同じことを四回も繰り返すのは、前に言ったという事実を忘れて、初めて言うつもりで繰り返すのか、それとも、阿呆相手だからというわけなのか、どちらなんだい。これは君の告白を俟たなければ、俺には分らない。
正夫――僕にも分らないさ。
酒太郎――ははあ、それじゃ俺に分らない筈だ。ところで、考えてみれば、酔っ払った時のことを後でけろりと忘れるのも、いいことだ。君はずいぶん辛辣な口を利くからね。そして思った通り無遠慮に言ってのけるからね。相手はずぶりと突き刺されて、深い痛手を蒙る。だから、相手の方はとにかく、君自身、そのことを後々まで覚えているとすれば、これはずいぶん困ったものだ。いくら形式打破を標榜し、徳義無視を標榜しても、社会生活には多少とも一種のエチケットが必要だから、痛手を与えた相手の前へ、のこのこ出て行きかねるという意味合いもあろうというものだ。少くともいくらかの気兼ねがあろうじゃないか。すっかり忘れてしまえば、どうでも宜しい。酔っ払い罷り通るというものだ。
――ところで、ちょっと注意しておくがね。後でけろりと忘れるにしても、酔っ払ったその時の君の態度にせよ言葉にせよ、少しも取り乱したところがなく、むしろ素面の時よりも立派なほどだ。だから、相手には君が酔っ払ってることがよく分らない。そういう酔い方は、ぐでんぐでんの酔い方よりも、よほど危険だぜ。とんだ誤解を招く恐れがある。用件なんかいくら忘れたって構やしない。冗談なんかいくら飛ばしたって構やしない。だが、相手が生真面目な女性だとか、謹厳な君子人だとかの場合には、後から弁解のしようもないことに立ち到らないとも限らない。この点は用心したがいいぜ。
――とにかく、君のは乱れない酒で、甚だ結構。口数が多くなるのも、胸中がすっきりする結果になって、甚だ結構。見識らぬ人にでも誰にでも話しかけるのも、万人同胞の意味で、甚だ結構。結構づ
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