庭の灌木や金魚や水蓮は、真夏の光の中に沈黙した。私は両腕を組んで黙然と庭の中を歩き廻った。――妻が病気で、五月には病院のベッドに横たわっていた。平素から病身で弱いのに、気分だけ張りきって万事を一人で引受けていて、いつも倒れるまでは平然と笑ってる彼女だった。
八月の或る夕方、桃の幹を、地上一間半ぐらいのところで、私は鋸で切った。その辺はまだ生きていそうで、芽を出しはすまいかと思ったのである。が、幹はすっかり枯れていた。
八月の末、妻は病院で安らかに永眠した。
其後、彼女の写真を調べていると、庭の桃の木によりかかって立ってるのと、その根本に屈んでるのと、二つのものが、私の心を打った。そんな写真があったのを、私は忘れてしまっていたのだ。写真に見入ると、それは健康な晴れやかな彼女ではなくて、病相の弱々しい淋しい彼女である。
いろいろな点で、その桃の木に似た彼女だった。
今私は別の家に住んでいる。今度の家敷には種々の大きな木がある。常緑樹もあれば落葉樹もある。私は始終それらを眺めている。そして、樹を愛する心が次第に深まってくるのを覚ゆる。この心、言葉にはつくし難いが、或る神聖なるものと繋りを持っていて、私の内心に力と光とを与える。
市内本郷千駄木町の一部に、太田の池という幽邃な大池があった。太田道灌の血を伝えてる太田子爵の所有地なので、俗に太田の池と呼ばれたのである。二方は高い崖で、古木が欝蒼と茂り、その根本から水が湧いて、常に清冽な水が池に湛えていた。池は自然のままに放置されて泥深く、周囲には笹や蔓が生いはびこっていた。時折子供たちが、竹垣の間をくぐってはいりこみ、蜻蛉をからかい、蝌蚪をいじめて、遊んでることもあった。然し、日の光が薄らぐと共に、また静寂幽玄な気にとざされるのだった。妖怪談さえ云い伝えられた池である。
その池が、数年前、埋められて、今は、人家が立並んでいる。池の縁をなしていた崖も、或はコンクリートで築かれ、或は木を切られてしまった。昔の池の名残を留めてるものは、殆んどない。ただ僅かに、昔のことを知ってる者に一脈の懐古の情を起させるのは、太田邸の一端をなしてる昔ながらの崖の一部と、それから、私の家の東側の崖……。
この崖、幅十間にすぎないが、椎や椋や榎や楓や、其の他の雑木が、それも径一二尺の大木が、立並んでいて、その根で土壌を支え、落葉を
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