積らして、何等人工を施さない昔のままのものである。私はそれ等の雑木、その朽葉、その崖を、愛する。そして、崖下に降りてみると、痛ましく心を打たれる。崖の土は、長年の風雨に流されたらしく、樹木の根が半分露出して、それが絡まりもつれながら、崖の中に喰い入っている。残りの土壌を支え、且つ我身を支えているのだ。半ば傾いてるのもある。傾きながらも喰い入っている。すばらしい力と闘争だ。
 それらの樹木が、殊に落葉樹が、春になって芽を出し、葉を茂らし、それから颱風の季節を迎える時のことを、私は今から想像する。殊に、中に一本|水木《みずき》がある。幹に小孔をあけておけば、さんさんと水液がしたたり出て、支那では之を不老長生の霊水と称したという、あの珍らしい水木である。幹がすらりとして、枝振りが重々しく、落葉期の今でも、風が吹けばしきりに頭を振る。それが、崖の中途にしがみついている。
 それらの樹木のために、私は崖の土盛りを考えた。崖の高さ四五間ほどもあろうか。然し、きり立った崖でなく、崖先に余地もあるので、先端を約一間ほど築いて、緩勾配に高めていけば、太田の池の名残も幾分保ちながら、樹木の根はすっかり土で蔽える筈である。然るに、その費用、約千円を要する。或る人々にとっては何でもないこの千円が、私にとっては殆んど夢想に等しいものとなる。私は黯然とした。
 黯然として、私は崖の樹木を眺めるのである。樹木は無数の枝を差しのべて、その先には、もう若芽がふくらんで色づいている。やがて瑞々しい緑の葉を出すだろう。青空の下、日の光が晴れやかに照っている。樹木よ……。
 樹木よ安らかなれ! と私は叫びたい。が然し風に揺れてるその梢を見ては、私の頭に、崖の中途に半ば露出してるその根本が映る。樹木よ力あれ! 力強く待て! 千円余の余裕を働き出すことは、私にとっては全く夢想だ。然し夢想を夢想として諦めないところに、実現の可能性がある。
 樹木を愛する心などは、一文の価値もない、と或る人々は云うだろう。然し私は、崖の中途に根を露出してる樹木を、社会的に虐げられてる人間と同一だと観る。そしてそれらの樹木から、根深い力と闘争とを教えられる。
 崖の樹木等よ、私もまた汝等のうちの一人だ。



底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
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