、自分の姿を室の硝子戸に度々見出していることに気付いた。そしてその姿は、鏡の面に明瞭に映るのとちがって、薄くぼやけながら、明暗の差が多く立体的で、真暗な中に宙に浮いている。或る距離まで近守って見ると、それはもう自分の姿ではなく、一の幻影……幻覚なのである。
 それに囚われてなるものか! 或る精神病院の入院患者は、窓硝子に映る自分の姿を恐れ初め、やがて鏡を恐れ、水面を恐れ、闇を恐れ、そして白昼も自分の姿がついて廻った。或る有名な文学者は、自分の椅子に腰かけてる自分自身を見、飲もうとする水を先に飲み干してしまう自分自身の姿を見、摘もうとする花を先に折取ってしまう自分自身の姿を見た。
 私は、自分自身の姿に馴れようとして、硝子戸に度々それを呼び出してみた。それでも足りずに、病院のあの男を真似て、起き上ったり屈みこんだりして、自分自身の姿を現滅さしてみた。あの男も実際そういうことをしていたのかどうか、それは私にはやはり知る由もない。
 机に向っている時、ふと、もう忘れはてたつもりでいても、夜更けなど、硝子戸の自分の姿に気が惹かれることがある。然しそこには既に、大きな守宮が食いあきた腹をこちらに
前へ 次へ
全5ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング