守宮
豊島与志雄

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)守宮《やもり》
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 私の二階の書斎は、二方硝子戸になっているが、その硝子戸の或る場所に、夜になると、一匹の守宮《やもり》が出て来る。それが丁度、私の真正面に当る。硝子戸から二尺ばかり距てて机が据えてあり、机の上に電気スタンドが置かれているので、夜の光をしたしんで飛んでくる虫は、大抵、真正面の硝子戸に集り、その虫を捕獲に来る守宮も、随って、真正面のところに姿を現わすことになる。
 十センチほどの、年経た大きな守宮である。硝子戸の向側にとまっているので、私はその腹部から眺めるわけである。背中は褐色斑紋のある暗灰色の筈だが、腹部なので灰白色であり、既に多くの虫を呑んだと見えて、でっぷり脹らんで、時々大きく息をしている。四本の短い小さい足の五本の指を拡げて、指先の円い扁平なところで、ぴたりと硝子にくっついている。
 紙切ナイフの先で、硝子のこちら側を、軽く撫でたり叩いたりしたくらいでは、彼はびくともしない。呑気なのか、大胆なのか、恐らく鈍感なのであろう。然し、少し大きめの蛾か昆虫かが来れば、それにじっと狙いをつけて、ぱっと飛びつき、口に銜えて、頭を振りながら激しく硝子にたたきつけ、相手が弱ってくるのを待って、徐ろに呑みこむのである。食物が豊富なせいか、小さな虫には見向きもしない。時には、大きい虫が来ても、捕えようともせず、数時間じっとしている。
 彼は日によって、現われたり現われなかったりするが、その彼のために私は、寝る時も、そこだけ雨戸を閉め残し、二燭光の電灯をつけ放しにしておく。豊富な猟場を、夜通し彼に残しておいてやりたいのである。
 私は彼を愛し初めているのであった。――電気スタンドの位置が時々変るので、その光のかげんで、私自身の姿が硝子戸に映って見え、その姿に彼の姿が重なり合うことがある。その彼に、私は親しみを覚え初めているのであった。
 或る夜遅く、二時近い頃であったろうか、私は街路を歩いていた。わりに広い通りだが、へんに淋しい――それは夜更けのせいばかりでもなく、低い小さな軒並なのである。そこへ大きな建物が現われてきて、その二階の一室から、灯火がさしていた。建物の模様では病院らしく、一様に並んでる広い大きな硝子窓には、みな白いカーテンが引かれていた。その中でただ一つ、カーテン
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