ず、十徳姿で短い白髯をなでている。子供もなく、金婚式にま近い老妻と二人きりで、若い時からの道楽の書道が役に立って、近所の娘子供たちに書道の稽古を授けている。謡曲に造詣深いところから、絹地に金泥で扇面を描き、その扇面に得意の隷書体で、「謡曲十五徳――不行知名所、在旅得知者……。」などと書きちらして怡んでいる。――その謡曲十五徳の額面を一つ、私は知人の求めによって、揮毫依頼に行ったのである。
伯母が出て来て、私を座敷に案内し、茶菓を出してくれ、何かと消息を尋ねてくれる。この伯母は至ってやさしくにこやかなのだが、やがて、襖の彼方からエヘンと一つ咳払いして、伯父が姿を現わすと、私も固くならざるを得ない。朱塗りの長卓の前に伯父は、肩をおとし腹に力をいれて正坐しているのだが、私にはその長卓がどうも低すぎる。眼をそらすと、縁側に小さい万年青の鉢が置いてある。私は立って行ってその万年青をほめ、戻ってくると、どうしたことか、いきなり胡坐をかいて云った、「伯父さん、どうぞお楽に!」「ええまあわたしは……。」とかなんとか伯父が云ってるのも知らん顔で、煙草をふかしたのである。
――そのことが、あとで笑い話
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