」
私は唖然とした。というのも、そういう返事は夢にも想像出来なかったからである。断るにしてもいろいろ口実はあろうが、そんな高利の金を借りるような人には危なくて御用立出来ないとは、如何にも理路整然としているし、その論理が面白いのである。然し実世間はみなそうしたものであろう。私は自分の迂濶さを笑い、豁然と眼が開けた思いをした。そしてその論理を、いろいろのことに適用してみて、ひとり楽しんだのである。例えば[#「例えば」は底本では「倒えば」]、河に落ちた者から救いを求められる時、河に落っこちるような粗忽な者には危なくて手は差出されぬ、なんかと。
然るに、数日後、学校の教師をしてる或る友人が来て、是非たのむから、至急二百円ばかり拵えてくれと云うのだった。――母が肺炎で入院したので、その入費にと、学校の相互扶助会みたいなものから、五百円借りることにしていたところ、その月は申込人が多く、而も申込順に依るという規則は如何ともし難く、一ヶ月延びることになった。然し母の方は案外早く回復し、一日も早く退院したがっている。そこで茲に二百円ばかりなければ、母を病院から引取ることが出来ないのだそうである。
なるほど人はいろいろなことに金がいるものだなと、私はひとり感心しながら、うちしおれてる謹直な教師の友人を眺め、気の毒な思いをしたが、さて処置に困った。彼はうすうす私の状態を知っていて、それほど多くの借金をするくらいだから、二百円ばかりならどうにかなるだろう、と云うのである。これもまた尤もな理窟だ。僕が拵える金は少し利子が高いよと云うと、いくら高くても構わぬとの返事だ。
そこで私は、一日の猶予を求めておいて、心当りを二ヶ所ほど探ってみた。ところが、どちらにも私自身の不義理があり、先ず御自身の方のことを何とかした後になさいと、意見をされるのがおちだった。
私は泣く泣く友人に手紙を書いた。書いてるうちに、肚がたってきた。こんなに沢山の借金をしてるのに僅か二百円ばかりの金が出来ないのかと、その論理にひっかかって、癪にさわったのである。それから次に、三千円の話の論理を思い出し、手紙の終りに書き添えた――利子はいくら高くても構わないと、そんなことを云う人は、世間から見れば危険で、この話なかなか困難だろうと。
私に見境がなく、相手が悪かったのだ。謹直な彼は、私を冷血漢だとひどく憤った。その誤解
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