をとくのには、如何なる借金をするよりも骨が折れたのである。

      三

 私の知ってる或る婦人に、妙な癖をもっているのがある。三十五六歳の中流婦人で、相当の財産と閑暇とを持ち、人柄もよく快活で、顔立も十人並というところ、まあそこいらにざらにある女なのである。ところで、何かのついでに、鼻の話が出ると、彼女はひどく敏感で、即座に片袖で自分の鼻を押え、片手を振って、鼻の話は止めましょうと云うのだ。そのくせ、彼女の鼻はいくらか団子鼻ではあるが、さほど醜いものではない。それを自分ではひどく醜悪だと自信しているらしい、或は鼻で何かよほど不幸な目にあったらしい。――彼女に云わすれば、意志や修養など自分の力ではどうにもならない肉体的欠陥は、当人の前で口にすべきではないのである。
 その婦人が、私にしばしば結婚をすすめた。初めは、私が妻の死後ずっと独身生活を続けているのを見て、勝手な理窟をつけては感心していたのであるが、いつのまにか変節改論して、しきりに結婚をすすめるようになった。それも、結婚なさいというのではなく、私がもう相当な年配のせいか光栄にも、奥さんをお貰いなさいというのであり、遂には、このお嬢さんをお貰いなさいというようになった。
 そのお嬢さんというのが、彼女の遠縁に当る名門の令嬢で、女子大学出身の才媛、勉学のために年は二十七になってるが初婚、持参金十万円近くあるという。ほほうといった気持で私は、彼女が差出す晴れやかな写真を、婦人雑誌の口絵でも眺めるように見やったのである。
 彼女は一週間おきくらいに私の家へやって来て、決心はついたかと促すのである。私の言葉などは全然無視してかかり、早く決心せよと迫るのである。十万円の持参金を貰って、その半分ほど使うつもりで、一二年世界漫遊をなさるもよかろうし、或は落着いて論文を書くなり、「レ・ミゼラブル」のような大作を書くなり、自由になすったらよかろう、ついては一日も早く、形式だけでも見合をなすったら……とそんなことに一人できめてしまった。
 これはとても手におえないと思ったので、私は一つ条件を持出してみた。見合の折に、その令嬢とどんな話をしてもよいかという条件なのである。彼女は即座に承諾した。そして次のような会話がなされたのである。
「私は女の髪が好きなんですが、髪の話をしてもよろしいんですか。」
「ええどうぞ。ウェーヴが、そ
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