ず、十徳姿で短い白髯をなでている。子供もなく、金婚式にま近い老妻と二人きりで、若い時からの道楽の書道が役に立って、近所の娘子供たちに書道の稽古を授けている。謡曲に造詣深いところから、絹地に金泥で扇面を描き、その扇面に得意の隷書体で、「謡曲十五徳――不行知名所、在旅得知者……。」などと書きちらして怡んでいる。――その謡曲十五徳の額面を一つ、私は知人の求めによって、揮毫依頼に行ったのである。
 伯母が出て来て、私を座敷に案内し、茶菓を出してくれ、何かと消息を尋ねてくれる。この伯母は至ってやさしくにこやかなのだが、やがて、襖の彼方からエヘンと一つ咳払いして、伯父が姿を現わすと、私も固くならざるを得ない。朱塗りの長卓の前に伯父は、肩をおとし腹に力をいれて正坐しているのだが、私にはその長卓がどうも低すぎる。眼をそらすと、縁側に小さい万年青の鉢が置いてある。私は立って行ってその万年青をほめ、戻ってくると、どうしたことか、いきなり胡坐をかいて云った、「伯父さん、どうぞお楽に!」「ええまあわたしは……。」とかなんとか伯父が云ってるのも知らん顔で、煙草をふかしたのである。
 ――そのことが、あとで笑い話になり、他家に行ってそこの主人にどうぞお楽に――でもあるまいと、私はすっかり無作法者にされてしまった。

      二

 或る時私は、つまらないことから多額の負債を荷った。そのうち、最も悪質なのが三千円ほどあって、利子が月八分にも当るのである。これだけでも、利子ばかりで月に二百四十円になる。あまりばかばかしくて、行末のことも案じられ、もうこの上は、庭の木の枝にぶら下るか、顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]にずどんと一発やるか、或は両国橋あたりから身を投げるかするより外はあるまいと、さんざん思い悩んで、仕事もせずのほほんとしていた。
 それを見兼てか、親切な或る先輩が、その三千円だけでも拵えてやろうと云ってくれた。而も事は急で、明日にも自殺となりかねない雲行である。とにかく三日間待て、という約束になった。
 その三日間を、私は一刻千秋の思いで待ち暮したのだが、期限がくると、先輩はにこにこして私の家へやって来た。――「みごとに失敗したよ。彼奴、金はあり余るほど持っているんだが、事情を話すと、こういう返事なんだ、月八分もの高利の金を借りるような人には、危なくて、御用立は出来ない。
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