ほど甘っちょろい男ではないし、それほど彼等と親しくもなかった。
 ところで、おれには妙な癖がある。旧知の人に逢っても初対面のような気がすることもあれば、初対面の人に逢っても旧知のような気がすることもある。両者の間の程度の差はさまざまだ。この相手とはこういう間柄だとはっきり分っていながら、気持ちの上ではへんな錯覚が起る。終戦後日本に帰還してきた時からの、未だに直らぬ癖らしい。それがひょっと出たのである。
 戸川がはいって来て、照れたような笑顔でおれの前に坐った時、おれは、親しい友人だがずいぶん長く逢わなかったなあと、そんな気がしたのである。学校で、おれに言葉をかけて何か話をしたがってる様子だったのを、おれが素気なく振り切った。そのことが原因だったのだろうか。そのくせ、彼はクラスのまあ秀才で、週に一回はたいてい逢ってる、ということははっきり分っていたのである。だから実は、彼に敬意を表する気持ちよりも、久闊を叙する気持ちから、ウイスキーをふるまってやったものらしい。
 おれの気附薬を混じたコーヒーを、彼はうまそうもなく、然し恐縮そうにすすった。酒は好きでないらしい。長髪は油っ気が少いが艶がよ
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