した。殆んど抵抗らしい抵抗はなく、ただ全然消極的に過ぎなかった。翌朝、おれは部下の兵に拳銃を持たして、女の部室に闖入させた。銃声の後に、いや同時に、わーっと喚き声がした。たしかに声がした。おれは駆け出した。残虐な場合にもいろいろ立ち合ったがあの時だけは、髪が総毛立った。
 あの朝、おれはなぜ、あの女の足元にひれ伏して、謝罪しなかったのか。或は、あの女に背中から刺されなかったのか。それだけの勇気がなかったわけではない。ただ、あの女の幸福ということを別な方面から考えただけだ。あの当時、おれは忌わしい病気にかかっていたのだ。おれが考えたあの女の幸福、それはどこへ行ってしまったか。わーっという喚き声で、一瞬にして消し飛んでしまった。
 底知れぬ深淵を覗き込む気持ちだ。
 深淵は埋めろ、埋めろ。埋めて平らにするがいい。
「何を考えていらっしゃるの。どうなすったの。」
 彼女の眼ばかり大きく、すっかり蒼ざめている。
 わーっと喚いて、おれは彼女に飛びつき、その首にかじりついた。だが転がって、もう起き上れなかった。

 その夜遅く、或は明け方近かったかも知れないが、おれは起き上って、ひそかに雨戸を開
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