驚いたが、それはいつしか沙汰やみとなった。
 それ以外におれは何にも知らない。然しそれでよいのだ。おれのことについては、この貧しい八畳の室とだいたいの生活とを、彼女は知っているし、それだけでよいではないか。
「僕はこの通りの男だし、あらためて、打明けることなんかないつもりだが、質問には応じよう。なんでも聞いていいよ。」
 まずい言い方だった。おれは自分ながら眉をひそめた。ところが彼女も同じようなことを言った。
「あたしも、この通りの女よ。でも、質問には応じますから、なんでも聞いて下すっていいわ。」
 ひどく白々しい空気になってしまった。いけない。いま、彼女を押し倒して、押えつけて、ぶん殴るか、暴行するか……抵抗してくれればいいが……いや、たぶん、なま温い泥沼に一緒に転げこむばかりだろう。
「なんにも聞いて下さらないのね。ほんとの愛情がないんだわ。やっぱり、あたし間違ってた。」
 突然、彼女は卓上に突っ伏し、肩を震わして泣きだした。泣きながら言うのである。
「あたしね、たとえ一月でも二月でもいいから、あなたと一緒に、二人っきりで暮してみたかった。そしたら、もう死んでもいいと思っていた。で
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