、やたらに先生を連発してやった。ええ先生、ねえ先生、それから先生、然し先生……それが、少しも先生には通じないのである。ほんとに泣きたくなって、もう断然、先生をやめてしまった。それでも先生には通じない。
「天災は忘れた時に来る、というのも本当だが、災難は欲しない時に来る、というのも本当だよ。病気したくない時に病気をする。死にたくない時に死ぬる。貧乏したくない時に貧乏する。戦争したくない時に戦争が起る。怪我したくない時怪我をする。すべてそうしたものだ。」
「そんなこと、誰か欲する時がありますか。」
「あるさ。人間というものは、幸福を欲すると共に、また災難をも欲する。殊に若い時にはそうだ。そうでなければ、ヒロイズムなんか成立しない。焼酎を飲む者もなくなってしまう。」
 杉山さんは愉快そうに笑うのである。だが、おれがちょっと変な気がしたのは、ヒロイズムという言葉だ。それは左右両極の政治部面にだけ残存してるものだと思っていたのであるが、焼酎に酔っ払うことのうちにもヒロイズム的実感があった。おれはむかついてきて、コップを一気にあおった。
「先生、もう行きましょう。」
 勘定を払って、それから杉山さ
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