ェ出てきた。
 突然、深い夢想に沈みながらも私は、彼らのそうぞうしい輪舞がやんでひっそりとなったのを見た。すると、私がつかまってる窓のほうへそのすべての目が向いた。「死刑囚だ、死刑囚だ!」と彼らはみな私を指さしながら叫んだ。そして歓喜の声が一層さかんにどっとおこった。
 私は石のように固くなった。
 彼らがどこから私のことを聞きこんでいたのか、どうして私をそれだと見てとったのか、私にはわからない。
「こんにちは! こんにちは!」と彼らはその不逞《ふてい》な冷笑の調子で私に叫んだ。つやつやした鉛色の顔をした終身徒刑囚の一人の若者は、うらやましいふうで私を眺めながら言った。「あいつしあわせだな、刈られ[#「刈られ」に傍点]ちまうんだから。さようなら、お仲間!」
 私の内心にどういうことがおこったかはとても言いえない。まったく私は彼らの仲間だった。グレーヴ死刑場はツーロン徒刑場の兄弟だ。私は彼らよりも下位にさえ置かれていた。私にとって彼らは光栄ある仲間だった。私はふるえあがった。
 そうだ、私は彼らの仲間だ。そして数日後には、この私もまた彼らの観物となることだろう。
 私は身動きする力もうせて窓のところにじっとしていた。けれども、その五すじの綱が進んできて、けがらわしくもなれなれしい言葉をかけながら私のほうへ近づいてきたとき、そして彼らの鎖や叫びや歩行のそうぞうしい音を、壁の根もとに聞いたとき、私はその悪魔の群が私のみじめな監房をのっとろうとしているように思えた。私は叫び声をたて、打ち破るようないきおいで扉にとびかかった。しかし逃げだすすべもなかった。外部から閂がかけられていた。私は扉を打ちたたき、夢中になって呼びたてた。それから徒刑囚らの恐ろしい声がなお身近に聞こえるような気がした。彼らの醜悪な顔がもう窓の縁にのぞきだしているように思えた。私は再度苦悶の叫び声をたてて、気を失って倒れた。

       一四

 私が我にかえったときは、もう夜だった。私は粗末な寝台に寝かされていた。天井にゆらめいてるランプの光で、私の両側にも他の粗末な寝台のならんでるのが見られた。私は病室に移されてるのだということがわかった。
 私はしばらくのあいだ目を覚ましていたが、何の考えもなく何の思い出もなく、ただ寝台に寝てるという幸福にひたりきっていた。たしかに、他の時だったら、この監獄の病室の寝台に対して私は不快さとなさけなさのため、たじろいだろう。しかし私はもう以前と同じ人間ではなかった。おおい布は灰色で手ざわりが粗く、毛布は貧弱で穴があいており、ふとん越しに下の藁ぶとんが感じられはしたが、それでも、そのひどいおおい布のあいだに、私の手足は自由にくつろぐことができ、どんなに薄かろうとその毛布の下に、私がいつも覚えるあの骨の髄の恐ろしい寒さはしだいに消えてゆくのが感じられた。――私はまた眠った。
 ひどい物音に私はまた目を覚ました。夜が明けかかっていた。物音は外から聞こえていた。私の寝台は窓のそばにあった。私は体をおこして、なにごとかと眺めた。
 窓はビセートルの大きい中庭に面していた。その中庭は人でいっぱいだった。二列に立ちならんでいる老兵らが、その人ごみのまんなかに、中庭を横ぎって、狭い通路をかろうじてあけていた。その兵士の二重の列のあいだに、人を積んだ長い荷馬車が五つ、敷石の一つ一つに揺らめきながら徐々に進んでいた。徒刑囚らが出かけるのだった。
 それらの荷馬車には何の覆いもなかった。一連の徒刑囚がそれぞれ一台に乗っていた。彼らは馬車の両側に横向きに腰かけ、互いに背中合わせになり、その間に共同の鎖が置かれていた。鎖は馬車の長さだけに伸び、その先端に一人の監視が、装填《そうてん》した銃を持って徒歩で控えていた。徒刑囚らの鉄具の音が聞こえ、また馬車の動揺ごとに、彼らの頭がとびあがり彼らの足がふらつくのが見えた。
 こまかなしみ通るような雨のために、空気は冷えきっていた。そして彼らの膝に、麻のズボンは灰色のが黒くなってこびりついていた。彼らの長いひげや短い髪には、雨水がしたたっていた。彼らの顔は紫色になっていた。彼らがうち震えて憤激と寒さとに歯ぎしりしているのが、見てとられた。そのうえ、彼らは身を動かすこともできなかった。その鎖に一度鋲締めされると、一人の者のように動く綱という醜悪な全体の一部分にすぎなくなる。知能も身を退かなければならない。徒刑場の首枷は人の知能を死刑に処する。そして動物的な半面でさえも、一定の時にしか尿意や食欲を起こしてはいけなくなる。そういうふうに彼らは身動きもできず、多くはなかば裸で帽子もかぶらず足をぶらさげて、二十五日間の旅にのぼるのだった。同じ荷馬車に積まれ、七月の太陽の直射にも十一月の冷たい雨にも、同じ服を着せられるのだ。人はその体刑執行の仕事になかば天候の力をかりたがってるかのようである。
 群集と馬車の男たちとの間に、なんともいえぬ恐ろしい対話が始められていた。一方から侮辱的な言葉、他方から挑戦的な言葉、そして両方に呪いの言葉がまじった。しかし指揮官の一つの合図で、見てるまに棒の打撃が、肩といわず頭といわず手当りしだいに馬車のなかに降りそそいだ。そしてすべては秩序[#「秩序」に傍点]といわれる外的の一種の平静さにかえった。しかし彼らの目は復讐の色に満ち、彼らの拳《こぶし》は膝の上に震えていた。
 五台の荷馬車は、騎馬の憲兵と徒歩の監視とに護られて、ビセートルの高い円門の下にあいついで見えなくなった。六台めの馬車が後に続いて、そのなかには、釜や銅の鉢や予備の鎖などがごたごた揺れていた。酒保にぐずついてた数人の監視は、列に加わるために駈け出していった。群集は四散した。その光景は幻のように消え失せた。フォンテーヌブローの敷石道に響く車輪や馬足の重々しい音、鞭の鳴る音、鎖のかち合う音、徒刑囚らの旅を呪う群集のわめき声、それらもしだいに空中に弱まっていった。
 しかしそれは彼らにとってはまだ初めにすぎないのだ。
 かの弁護士はいったい私に何ということを言ったのか。終身徒刑! ああそうだ、いっそ死刑のほうがましだ。徒刑場よりもむしろ死刑台のほうが、地獄よりもむしろ虚無のほうが、徒刑囚の首枷へよりもむしろギヨタン氏の刃《やいば》へこの首をわたしたほうが! 徒刑とは、おお!

       一五

 不幸にして私は病気ではなかった。翌日は病室から出なければならなかった。幽閉監房がまた私を囚《とら》えた。
 病気でないというのか! 実際私は若くて健康で丈夫である。血は自由に私の血管を流れ、四肢は私の気ままになる。体も精神も頑健で、長命にできている。そうだ、それは本当だ。しかしそれでも、私は一つの病気を、致命的な病気を、人間の手で作られた病気をもっている。
 病室を出てしまってから、一つの痛切な考えが、気が狂うほどの考えが私に浮かんだ。もし病室に残っていたらあるいは脱走することができたろうという考えである。あの医者たちは、あの修道女の看護婦たちは、私に同情してるように見えた。こんなに若くてこんな死にかたをする! 彼らは私を不憫《ふびん》に思ってくれてるようだった。それほど彼らは私の枕頭で親切をつくしてくれた。なに、好奇心からだ。それにまた、病いをなおすそれらの人々は、発熱を回復させることはできるが、死の宣告を回復させることはできない。とはいえ、それは彼らにいとたやすいことだったろう。戸を一つ開くだけだ。それが彼らにとって何であろう。
 今はもう何の機会もない。破毀院は私の上告を却下するだろう、万事が規定どおりになされているから。証人らは立派に証言したし、弁論人らは立派に弁論したし、判事らは立派に裁判した。私は物の数にはいらない。ただせめて……。いや。ばかげたことだ。もう望みはない。上告などというものは、深淵の上に人をぶらさげるひとすじの縄であって、切れるまでは絶えずみりみりいう音が聞こえる。あたかも断頭台の刃が落ちるのに六週間かかるかのようである。
 もし赦免を得たら? ――いや、赦免を、いったい誰から、何のわけで、どうして? 私が赦免されるようなことがあるものか。彼らが言うとおりに、私は実例なのだ!
 私はもう三度足をはこぶだけのことだ。ビセートルの監獄、コンシエルジュリーの監獄、グレーヴの刑場。

       一六

 病室でわずかな時間をすごしたとき、私は窓のそばに座って、日の光に――日の光がまた射してきたのだった――あたっていたことがある。あるいは少なくとも、窓の鉄格子がもらしてくれる日光を受けていたことがある。
 私はそこで、重い燃えるような頭を、支えかねる両手でかろうじて支え、両|肱《ひじ》を膝につき、両足先を椅子の桟《さん》にかけていた。というのも、喪心の極、四肢には骨がなくなり肉には筋肉がなくなったかのように、かがみこみ折れまがってしまったのだ。
 私は監獄のよどんだ臭いにいつもよりひどく息苦しさを覚え、耳にはなお徒刑囚らの鎖の音が残っており、ビセートル全体の大きなものうさを感じていた。そしてもし善良な神があったら、私を憐れんでくれて、せめて一羽の小鳥でも私に送って、そこで、正面のところで、屋根のへりで、さえずらせてくれるはずだが、というように思われた。
 その私の願いをききとどけてくれたのは、はたして善良な神だか悪魔だかわからないが、ほとんどその時すぐに、窓の下に、一つの声がおこってくるのが聞こえた。小鳥の声ではなかったが、もっとよいもので、十五、六歳の小娘の清い爽やかな柔かな声だった。私は飛びたつように頭をあげて、彼女が歌ってる唄にむさぼるように耳をすませた。それはゆるやかな弱々しい節《ふし》で、悲しい哀れっぽい一種のさえずりで、文句はつぎのとおりだった。――〔[#ここから割り注]次の唄の言葉は隠語交りであるが、そのまま日本の隠語交りに翻訳することは至難であるから、だいたい普通の言葉に訳出する。しかし隠語交りの唄であることを頭において読んでいただきたい。[#ここで割り注終わり]〕

[#ここから2字下げ]
マイユ街にて
俺は捕えられた、
    マリュレ、
三人の憲兵に、
  リルロンファ・マリュレット、
おっ伏せられた、
  リルロンファ・マリュレ。
[#ここで字下げ終わり]

 私の失望がどんなに苦々しいものであったか、言葉にはつくされない。歌声はなおつづいた。

[#ここから2字下げ]
おっ伏せられた、
    マリュレ。
手錠もらった、
  リルロンファ・マリュレット。
刑事がやってきた、
  リルロンファ・マリュレ。
途中で出会った、
  リルロンファ・マリュレット、
町内のどろぼう、
  リルロンファ・マリュレ。

町内のどろぼう、
    マリュレ。
――行って女房に言っとくれ、
  リルロンファ・マリュレット、
俺は上げられちまったと、
  リルロンファ・マリュレ。
女房は腹立ち、
  リルロンファ・マリュレット。
俺に言う、何をしたんだ?
  リルロンファ・マリュレ。

俺に言う、何をしたんだ?
    マリュレ。
――俺はばらした、一人の野郎を、
  リルロンファ・マリュレット、
剥《は》いでやった、そいつの金を、
  リルロンファ・マリュレ。
そいつの金と時計とを、
  リルロンファ・マリュレット、
それから靴の留金を、
  リルロンファ・マリュレ。

それから靴の留金を、
    マリュレ。――
女房は出かける、ヴェルサイユ、
  リルロンファ・マリュレット、
国王陛下の足もとに、
  リルロンファ・マリュレ。
請願一つたてまつる、
  リルロンファ・マリュレット、
俺を放免してもらおうと、
  リルロンファ・マリュレ。

俺を放免してもらおうと、
    マリュレ。
――ああそれで放免されたなら、
  リルロンファ・マリュレット、
女房を飾ってやろうもの、
  リルロンファ・マリュレ。
つけさせようよ、蝶々リボン、
  リルロンファ・マリュレット、
靴には革のほこりよけ、

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