ュに探し求める習慣をもってはいない。著者が本書を思いついたのは、誰でもみなが思いつきうるところ、誰でもおそらく思いついたろうところ(というのは、死刑囚最後の日[#「死刑囚最後の日」に傍点]を頭のなかで考えるか想像するかしなかった者があろうか)、ただ単に公けの広場、グレーヴの刑場においてである。ある日そこを通りながら著者は、断頭台のまっかな木組の下の血の溜りのなかに横たわってるこの避けがたい観念を拾いあげたのである。
それからというもの、最高法院の悲しむべき木曜日のなりゆきにしたがって、死刑決定の叫びがパリの中におこる日がくるたびごとに、グレーヴの刑場に見物人を呼び集める嗄《しわが》れたわめき声が窓の下を通ってゆくのを聞くたびごとに、著者は右の痛ましい観念に再会して、それにとらえられ、憲兵や死刑執行人や群集などのことが頭にいっぱいになり、死にのぞんでいるみじめな男の最期の苦悶を刻々に見る気がし――ただいま彼は懺悔《ざんげ》をさせられてる、ただいま彼は両手を縛られてる――そしてただ一介の詩人たる著者は、そういう恐ろしいことが行なわれているのに平然と自分の仕事をしている全社会にむかって、すべてのことを言ってやらずにはおられなくなり、せきたてられ突っつかれ揺すられて、詩を作っている折にはその詩を頭からもぎとられ、ようやくできあがりかけてる詩をすべて打ち砕かれ、あらゆる仕事を妨げられ、万事に途を遮られ、ただその観念におそわれつきまとわれ攻めつけられるのだった。それは一つの刑罰であって、その日とともに始まって、他方で同時に苦しめられているみじめな男の刑罰と同様に、四時[#「四時」に傍点]まで続くのだった。四時になってようやく、切られし頭死せり[#「切られし頭死せり」に傍点]と大時計の凄惨《せいさん》な音が叫んでから、著者は息をつくことができ、精神の自由をややとりもどすのだった。そしてついにある日、ユルバックの処刑の翌日だったと思うが、著者は本書を書きはじめた。それ以来はじめて胸が和らいだ。司法的執行といわれるそれら公けの罪悪の一つが行なわれる時、著者はもはやそれについて連帯の責がないことを良心から告げられた。グレーヴの刑場から社会の全員の頭上にほとばしりかかる血のしたたりを、著者はもはや自分の額に感じなくなった。
とはいえ、それではまだ足りない。自分の手を洗い清めるのはよいことである。が、血を流すことをやめさせるのはさらによいことであろう。
それゆえ著者はもっとも高い神聖な荘厳な目標をめざしたい。すなわち、死刑の廃止に協力すること。それゆえ著者は、もろもろの革命がまだ引き抜いていない唯一の柱たる死刑台の柱を打ち倒すことに数年来つとめている、各国の殊勝な人々の希願と努力とに、心底から左袒《さたん》する。そして弱小な者ではあるが、喜んで自ら斧《おの》の一撃を加えて、多くの世紀をさかのぼる昔からキリスト教諸国の上につっ立っている古い磔刑《たっけい》台に、六十年前ベッカリアが与えた切り口を、力のおよぶかぎり大きくしたいのである。
今言ったとおり、死刑台はもろもろの革命から転覆されていない唯一の建物である。実際、革命はめったに人間の血を惜しまない。社会の葉を刈り、枝を刈り、頭を刈るために到来した革命にとっては、死刑はもっとも手放しにくい鉈《なた》の一つである。
それでもうちあけて言えば、死刑を廃止するにふさわしくそれができそうに見えた革命があるとすれば、それは七月革命であった。まったく、ルイ十一世やリシュリューやロベスピエールなどの野蛮な刑罰を除き、人間の生命の不可侵性を法律の額に記入することは、近代のもっとも寛仁な民衆運動たるこの革命の仕事であるようだった。一八三〇年は一七九三年の肉切り庖丁を折り捨てるにふさわしかった。
われわれは一時そのことに望みをかけた。一八三〇年八月には、多くの寛仁と憐憫とが空中に浮かんでおり、穏和と文明との強い精神が衆人のうちに漂っており、美しい未来が近づいてくる輝かしい心地を人に深く感じさせたので、われわれのじゃまとなっていた他のあらゆる悪事と同様に死刑も、暗々裡の衆人一致の合意で正当に一挙に廃止されるもののように、われわれには思われた。民衆は旧制度のあらゆる古着を燃やして祝い火としていた。そしてこんどのは血ににじんだ古着だった。われわれはそれが多くの古着の積み重なっているなかにあると思った。他のものと同様に燃やされたのだと思った。そして数週間のあいだ、信頼しやすく信じやすいわれわれは、自由の不可侵性とともに生命の不可侵性が未来に対して確保されたものと思った。
はたして二か月とたたないうちに、セザール・ボヌザナの崇高な理想を実際法律上に解決せんがために、一つの試みがなされた。
不幸にもその試みは、粗悪で、拙劣で、ほとんど偽善的なものであって、一般の利害よりも他の利害のためになされた。
一八三〇年十月、人の記憶するかぎり、ナポレオンを円柱塔の下に埋めようとの提議を議事日程で退けた数日後、議会は全員泣きはじめ嘆きはじめた。死刑の問題が議題にのぼったのである。どういう機会でかは後ですこし述べるつもりであるが、その時、それらすべての議員の心は突然異常な慈悲の念にとらえられたらしい。各人が争って口をきき、うち嘆き、両手を天に差し出した。死刑とは、ああ何と恐ろしいことか! ある老年の検事長は、血色の法服のうちに老いて白髪となり、血に浸った論告のパンを生涯かじってきた男だったが、突然哀れっぽい様子をして、神に誓って断頭台を憤る旨を述べた。二日間たえまなく、議政壇上は泣き女めいた長広舌で満たされた。それは一つの哀歌であり、喪の歌であり、挽歌の合奏であり、「バビロンの河の上に」の聖歌であり、「マリア立ちいたりき」の聖歌であり、合唱隊つきのト調の一大交響楽であって、議会の上席を占め白昼いかにもみごとな音を出す雄弁家などの楽隊によって演奏されたのである。ある者は低音をもたらし、ある者は金切声をもたらした。なにひとつ欠けてるものはなかった。このうえもなく悲壮な痛ましい光景だった。ことに夜の会議は、ラショーセの戯曲の五幕目のように、情け深いやさしいまた悲痛なものだった。善良な公衆は、何のことかわけもわからずに、目に涙をうかべていた。――(われわれは、その時議会で述べられたものの全部を、同じ軽蔑のうちに包みこもうとするものではない。あちらこちらで、品位ある立派な言も発せられた。われわれもすべての人々とともに、ラファイエット氏のまじめな率直な演説を喝采《かっさい》したし、また他のある意味で、ヴィルマン氏の注目すべき即席演説を喝采した。)
それはいったい何の問題についてであったか。死刑の廃止についてであったか。
そうでもあるし、またそうでもない。
事実はつぎのとおりである。
上流社会の四人の男、申し分のない男、社交場裡に立ち交って敬意をもって遇せられた人物、その四人の男が、ベーコンに言わせれば罪悪[#「罪悪」に傍点]となりマキアヴェリに言わせれば企図[#「企図」に傍点]となるような大胆な行いを、政界の中心で試みた。ところで罪悪にせよ企図にせよとにかく、万人に対して横暴な法律はそれを死刑で罰した。そして四人の不幸な男は、ヴァンセンヌのみごとなアーチ建築のなかに閉じこめられ、法律の捕虜となって、三色の帽章をつけた三百人の者に護られていた。どうしたらよいか。どういうふうにしたらよいか。われわれと同じような四人の男を、四人の上流の男[#「上流の男」に傍点]を、それと名ざすことさえはばかられる役人と背中合せにし、いやしい太縄で縛りあげ、荷車に乗せて、グレーヴの刑場に送ることは、どうも不可能なことではないか。マホガニーでできている断頭台でもあればまだしも!
だから、死刑を廃止するだけのことだ。
そこで、議会はその仕事にとりかかる。
ところで代議士諸君よ、昨日まで諸君はこの死刑の廃止を、単に空想で理論で夢想で狂愚で詩だとしていた。がその荷車や太縄やまっかな恐ろしい機械に諸君の注意を呼ぼうとするのは、これがはじめてではない。そしてこの醜悪な器具がようやく突然諸君の眼につくというのは、ふしぎなことである。
いや、そこに問題があるのだ。われわれが死刑を廃止しようとしたのは、それは民衆のためにではなく、われわれのため大臣ともなりうるわれわれ代議士たちのためにである。われわれはギヨタンの機械が上流階級をついばむのを欲しない。そこでわれわれはその機械を壊す。もしそのことが一般世人のためになれば仕合せというものだ。しかしわれわれが考えたのはわれわれだけのことである。隣りのユカレゴンの宮殿が燃えている。その火を消せ。いそいで、死刑執行人を廃し、縄を取り除こうではないか。
そういうふうにして、利己主義の混和はもっとも美しい社会的結合を変質させ不自然になす。それは白大理石のなかの黒脈である。それが到るところに通っていて、鑿《のみ》の下に不意にたえず現われてくる。彫像は造りなおさなければならない。
たしかに、ここに言明するにもおよばないことではあるが、われわれは四人の大臣の首を要求する者ではない。それらの不幸な人々がひとたび捕縛されるや、彼らの犯罪によって惹起された憤怒の念は、われわれにおいてもすべての人におけると同様に、深い憐憫の情に変わった。われわれは思いやった、彼らのうちのある者たちのかたよった教育のこと、一八〇四年の陰謀の熱狂的な頑固な再犯者であり、牢獄のしめっぽい影の下に早老の白髪となっている、彼らの首領の偏狭な頭脳のこと、彼らの共通な地位が宿命的に要求していたもののこと、一八二九年八月八日に王政自身がまっしぐらに駆け降りたあの急坂を、途中で立ちどまることの不可能だったこと、それまでわれわれがあまり考慮を払わずにいた、王家の者の勢力のこと、ことに、彼らのうちの一人が彼らの不幸のうえに緋《ひ》の衣のように広げかけていた威厳のことなどを。それでわれわれは、彼らの命が助かることを衷心《ちゅうしん》から希望する者であり、そのためには常に尽力を惜しまない者である。万一彼らの死刑台がグレーヴの刑場に立てられることであったとすれば、たとい空想にもせよわれわれは信じたいのであるが、たぶんその死刑台を転覆するために暴動が起こったであろう。そして今これを書いている著者はその神聖な暴動の仲間にはいっていたであろう。なぜかなれば、これもまた言っておかなければならないことであるが、すべて社会的危機においては、あらゆる死刑台のうちでも、政治的死刑台はもっとも呪うべきものであり、もっとも痛ましいものであり、もっとも有毒なものであり、もっとも根絶しなければならないものである。この種の断頭台は敷石のなかにも根をおろして、わずかの間にあらゆる地点に生え広がる。
革命の時には、切り落とされる最初の首に注意しなければいけない。それは首に対する貪欲心を民衆におこさせる。
それゆえわれわれは個人的には、四人の大臣に死刑を免れさしてやろうと欲する人々に賛成であり、感情的にも政治的にもあらゆる点で賛成であった。ただ、死刑の廃止を提議するのに議会が他の機会を選ぶことこそ、われわれのさらに好むところだった。
もしその望ましい廃止が、チュイルリーの宮殿からヴァンセンヌの牢獄へ落ちこんだ四人の大臣についてでなく、ある大道の強盗について、あるみじめな者について、提議されたのであったならば……。みじめな人々、街路で諸君のそばを通っても、諸君はそれにほとんど目もくれず、言葉をかけもせず、その埃まみれの肱を本能的に避けようとする。不幸な人々、幼年時代にはぼろを着て、四つ辻の泥のなかをはだしで駆けまわり、冬は河岸べりにうち震え、諸君が食事をしに行くヴェフールの家の料理場の風窓で身をあたため、あちこちで塵埃塚《ちり》のなかからパンの皮を掘り出し、それをふいてから食べ、終日|鉤《かぎ》で溝をかきまわしては一文二文を漁《あさ》り、楽しみとしてはただ、国王の祝日の無料の見世物と、もう一つ
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