チて、地震のような騒ぎになった。
 そこで、待ってる憲兵の一隊が護衛に加わった。
「帽子取れ、帽子取れ!」と無数の声が一緒に叫んでいた。――国王に対してのようだ。
 そこでこの私までがひどく笑った。そして司祭に言った。
「彼らのほうは帽子だが、私のほうは頭です。」
 一同は並足で進んでいった。
 花物河岸は香りを立てていた。花市の日だった。花売娘らは花をすてて私のほうに駆けだしてきた。
 真正面に、パレ・ド・ジュスティスの角となってる四角な塔のすこし前方に数軒の居酒屋があって、その中二階は好位置だというので見物人でいっぱいだった。ことに女が多かった。居酒屋にとっては上乗の日にちがいない。
 テーブルや椅子やふみ台や荷車などが貸し出されていた。どれにもみなしなうほど見物人が乗っていた。人の血をあてこんだ商人らが声のかぎりに叫んでいた。
「席のいるかたはありませんか。」
 そういう群集に対して私は憤激を覚えた。彼らにむかって叫んでやりたかった。
「俺の席のほしい者はないか。」
 そのうちにも馬車は進んでいた。馬車が進むにつれて、群集はその後ろから崩れていって、私の道すじの遠くのほうに行ってまた集まるのが、私の茫然とした目にも見えた。
 ポン・トー・シャンジュの橋にさしかかった時、私はふと右手後ろのほうを見やった。するとむこう岸に、人家の上方に、彫像のいっぱいついている黒い塔が一つぽつりと立ってるのが目についた。その頂上に、横向きに座ってる二つの石の怪物が見えていた。なぜだかわからないが、私はそれが何の塔だか司祭にたずねた。
「サン・ジャック・ラ・ブーシュリーの塔です。」と死刑執行人は答えた。〔ラ・ブーシュリーは普通の言葉では屠殺所のこと。〕
 靄《もや》がかかっていたし、こまかな白い雨脚が蜘蛛《くも》の巣をはったようになっていたが、それでも周囲に起こることはみな、どうしてだかわからないが、なにひとつ私の目をのがれなかった。そしてそのひとつひとつの事柄が私を悩ました。その感じはとうてい言葉にはつくされない。
 ポン・トー・シャンジュの橋は広かったが、やっとのことでしか通れないほど人でいっぱいになっていた。その橋の中ほどで、私は急激な恐怖の念に襲われた。私は気を失いはしないかと心配した。最後の見栄《みえ》だ。で私は自ら自分をごまかして、なにも見ずなにも聞かないで、ただ司祭のほうだけに心を向けようとした。が、司祭の言葉は、喧騒のためとぎれてよく聞こえなかった。
 私は十字架像を取ってそれに接吻した。
「御慈悲を、神よ!」と私は言った。――そしてその一念のうちに沈潜しようとつとめた。
 しかし冷酷な荷馬車の動揺は私の心をゆすった。それから突然私はひどい寒さを覚えた。雨はもう服をしみ通していたし、みじかく刈られた髪を通して頭の皮膚をぬらしていた。
「寒さにふるえていますね、あなた。」と司祭は私にたずねた。
「ええ。」と私は答えた。
 悲しいかな、ただ寒さのためばかりではなかった。橋からまがってゆく角のところで、私の若さを女どもが憐れんでくれた。
 私たちは最後の河岸に進んだ。私はもう目が見えず耳が聞こえなくなりはじめた。それらの人声、窓や戸口や商店の格子窓や街灯の柱などに積み重なってるそれらの頭、貪欲な残忍なそれらの見物人、皆が私を知っていて私のほうでは一人も知らないその群集、敷石も壁も人の顔でできてるその街路……私は酔わされ、茫然とし、白痴のようになっていた。あれほど多くの人の目が自分の上にのしかかってくることは堪えがたいものである。
 私は腰かけの上にふらふらして、もう司祭にも十字架にも注意をかさなかった。
 周囲の騒擾《そうじょう》のなかに、憐れみの叫びと喜びの叫びとを、笑いと嘆きとを、人声と物音とを、私はもう聞きわけられなかった。それらはみな一つの轟きとなって、銅の太鼓の中のように私の頭のなかに鳴りわたった。
 私の目は機械的に商店の看板を読んでいた。
 一度私は異様な好奇心にかられて、自分の進んでるほうをふりむいて見ようとした。それが、私の知性の最後の挑戦だった。しかし体はいうことをきかなかった。私の首すじは麻痺《まひ》して、前もって死んだようになっていた。
 私はただ横手に、左のほうに、河のむこうに、ノートル・ダームの塔をちらと見ただけだった。そこから見ると、その塔はもう一つの塔を隠している。見えるのは旗の立った塔だけだ。塔の上には多くの人がいた。彼らはよく見えたにちがいない。
 そして荷馬車はますます進んでゆき、商店はつぎつぎに通りすぎ、看板は書いたのや塗ったのや金色のがひきつづき、いやしい群集は泥のなかで笑い躍った。そして私は、眠ってる者が夢のままになるように、連れてゆかれるままに自分をまかせた。
 突然、私の目に映っていた商店の軒なみは、一つの広場の角で切れた。群集の声はなおいっそう広く甲高く愉快そうになった。馬車は急にとまった。私はうつむけに倒れかかった。司祭が私を支えてくれた。
「しっかりなさい。」と彼は囁いた。その時馬車の後部に梯子《はしご》が持ってこられた。司祭は私に腕をかした。私は降りた。それから一足歩いた。次に向きなおってもう一足歩こうとした。が足は進まなかった。河岸の街灯のあいだに、すごいものを見てとったのである。
 おお、それは現実だった!
 私はもうその打撃を受けてよろめいてるかのように立ちどまった。
「最後の申し立てをしたい。」と私はよわよわしく叫んだ。
 彼らは私をここに連れてきた。
 私は最後の意志を書かせてくれと願った。彼らは私の手を解いてくれた。しかし綱はいつでも私を縛るばかりになってここにあるし、その他のものは、あすこに、下のほうにある。

       四九

 裁判官だか検察官だか属官だか、どういう種類のものか私にはわからないが、一人やってきた。私は両手を合わせ両膝をつきながら赦免を願った。彼は余儀ない微笑をうかべながら、言いたいことはそれだけかと私に答えた。
「赦《ゆる》してください、赦してください!」と私はくりかえした。「さもなくば、御慈悲に、もう五分間猶予してください。どうなるかわかりません、赦されるかもしれません。私くらいの年齢で、こんな死にかたをするのは、どうにも恐ろしいことです。最後のまぎわに特赦がくる、そういうこともたびたびありました。私が特赦を受けないとすれば、誰が特赦を受ける資格がありましょう?」
 呪うべき死刑執行人、彼がそのとき裁判官に近寄ってきて言った、死刑の執行は一定の時間になされなければならない、その時間がもうせまっている、自分は責任をになっている、そのうえ雨が降っている、機械のさびるおそれがあると。
「どうぞ御慈悲に、一分間私の赦免の来るのを待ってみてください。さもなくば、私は抵抗します、かみつきます!」
 裁判官と死刑執行人とは出ていった。私はひとりきりだ。――二人の憲兵と一緒なだけだ。
 おお、山犬のように叫び声をたててる恐ろしい群集!――わかるものか、私が彼らから遁《のが》れられないかどうか、私が助からないかどうか、私の赦免が……。私が赦免されないということがあるものか。
 ああ、あいつら、階段をのぼってくるようだ……。

 四時!
[#改丁]

     序

 本書の初めの諸版は、著者の名前なしでまず出版されたものであって、冒頭には次の数行しかついていなかった。

[#ここから1字下げ]
 本書の成立を会得するのに、二つのしかたがある。すなわち、黄ばんだ不揃いなひとたばの紙が実際あって、一人のみじめな男の最後の思想が、それに一つ一つ書き留められているのが見出されたのだと。あるいはまた、哲学者とか詩人とか、とにかく一人の者が、芸術のために自然を観察している夢想家があって、本書のなかにあるような観念を心にうかべ、それを取りあげて、というよりむしろそれに捉えられて、それからのがれる途はただ、それを一冊の書物として投げ出すよりほかはなかったのだと。
 その二つの説明のうち、どちらなりと好きなほうを読者は選ぶがよい。
[#ここで字下げ終わり]

 右のことでわかるとおり、本書が出版された当時、著者は自分のすべての考えをすぐに述べるのが適当だとは思わなかった。そして自分の考えが人に理解されるのを待つほうを好み、はたして理解されるかどうかを見るのを好んだ。ところが著者の考えは理解された。で今や著者は、文学という潔白清純な形式で普及させようとした自分の政治的思想や社会的思想を、あからさまに持ち出すことができる。そこで著者は言明する、というよりむしろ公然と告白する、『死刑囚最後の日』は、直接にかあるいは間接にかは問わずして、死刑の廃止についての弁論にほかならないと。著者が意図したところのものは、そして後世の人がかかる些事にも気を配ってくれることがあるとすれば、後世の人から作品のなかに見てとってもらいたいと著者が思ったところのものは、選ばれたる某罪人についての、特定の某被告についての、いつでも容易なそして一時的な特殊の弁護ではなくて、現在および未来のあらゆる被告についての、一般的なそして恒久的な弁論である。大いなる最高法院たる社会の前においてあらゆる人が陳述し弁護する、人間の権利に関する重大な一事である。すべての刑事訴訟より以前に永遠に打ち立てられている、最上の妨訴抗弁であり、血に対する嫌悪[#「血に対する嫌悪」に傍点]である。すべての重罪審の底で、法官らの血なまぐさい修辞学の熱弁の三重の厚みにおおわれながら、ひそかにうごめいているほの暗い避けがたい問題である、生と死との問題であり、なおあえて言えば、衣をはがれ、裸体にされ、検事局の堂々たる世迷《よま》い言《ごと》をはぎ取られ、むごたらしく白日の明るみにさらされ、正当の視点にすえられ、本来あるべき場所に、実際ある場所に、本当の環境に、恐るべき環境におかれ、法廷にではなくて死刑台に、判事の手中にではなくて死刑執行人の手中におかれた、生と死との問題である。
 著者が取り扱おうと欲したものは右のとおりである。あえて望みかねることではあるが、それをなした光栄をもしも将来いつか著者が得ることがあるとすれば、著者にとって本懐の至りである。
 そこでなお言明しくりかえすが、著者は無罪のあるいは有罪のあらゆる被告の名において、すべての法廷や裁判所や陪審や審判の面前に席を占め、本書はすべて裁判官たる者に掲示されるものである。そしてこの弁論は、事件が広範にわたると同様に広範にわたるべきものであるから、したがって、『死刑囚最後の日』はそういうふうに書かれたのであるが、主題において各方面に削除をほどこし、偶発的なこと、事件的なこと、個人的なこと、特殊なこと、相対的なこと、変更できること、枝葉のこと、珍しいこと、結末のこと、人物の名前などはすべて除いてしまって、ただ特定のものでなしに、ある罪のためにある日処刑されたある死刑囚の事件を弁論する、というだけに限らねばならなかった(それが限るということになるならば)。もし著者が、ただ自分の思想だけの道具でかなり深く穿鑿《せんさく》して、三重の青銅板[#「三重の青銅板」に傍点]で張られている一司法官のかたくなな心に断腸の思いをさせえたならば、仕合せである。自ら正しいと思っている人々を憐れむべき者となしえたならば仕合せである。裁判官の内部を掘り返して、時としてそこに一個の人間を再現させることができたならば、仕合せである。
 三年前本書が世に出た時、ある人々は著者の観念を非議すべきものだと考えた。そして本書を、あるいはイギリスのものだとし、あるいはアメリカのものだとした。ふしぎな癖である、事物の源を百里のかなたに探し求めようとするとは、われわれの街路を洗っている溝をナイル河の水源池に流れさせようとするとは。遺憾《いかん》ながらこのなかには、イギリスの書物もなく、アメリカの書物もなく、または中国の書物もない。著者は『死刑囚最後の日』の観念を書物のなかから取ってきたのではない。著者は観念をそう遠
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