く、へんな結果になってしまいました。わたくしは翌朝、清さんを慰め、わたくしが後ろについていてやるから落着いていなさいと、いたわってやりました。そしてもう、清さんに対する嫌らしい気持ちは無くなり、杉山さんを憎む気持ちだけになりました。
それからわたくしは、ひそかに清さんの様子を見守っていてやりました。ただ、なんとなく気まずい空気はどうしようもありませんでした。三上もさすがに後味がわるいと見えて、清さんにあまり口を利かなくなりました。その代り、わたくしはつとめて清さんに言葉をかけてやるようにしましたが、ともすると、わざとらしい調子になりがちで、自分でも気がさしました。清さんの方は、ふだんから無口な上に、なお無口になったようでしたが、別に変った様子は見えませんでした。
ちょっと気づいたことを申しますと、清さんは夜遅くまで書物に読み耽ってることがあったようです。たぶん、わたくしが後で見つけましたあの、登山とか仏教とかに関する書物だったのでしょう。夜中に、清さんの部屋に明るく電燈がついてるのを見て、わたくしは声をかけたことがありますが、はいとすぐ返事があって、これからすぐやすみますと言いました。
あとで近さんに聞きましたところでは、清さんは時折、眠られないことがあって、催眠剤を用いていたらしゅうございます。あの吹雪の晩、ほんとうに買物があったとしますれば、それはたぶん催眠剤ではなかったろうかと、なぜかそのような気が致します。
それから或る時、清さんと近さんとのおかしな会話を、わたくしは耳に入れたことがあります。近さんはその日、外で、聾唖者同志の対話を見て来たらしく、たぶんその真似でもして、感心しているようでした。
「そんなの、ばかげてるわ。」と清さんが言いました。
「だってあんた、指先で話が出来るようになるまでには、たいへんな苦労でしょう。」と近さんが言いました。
「だから、ばかげてると言うのよ。あたしだったら、そんなばかな勉強はしない。」
「でも、つんぼで、おしなのよ。」
「結構じゃないの。なまじっか、耳が聞えたり口が利けたりするよりか、その方が幸福だわ。」
「まあ、へんてこな幸福。」
「あたし、ほんとは、この耳や口をつぶしてしまいたいと思うことがあるの。」
「変り者ね。」
「あんたこそ変り者よ。」
議論してるのかと思うと、そこで、二人とも笑いだしてしまいました。
前へ
次へ
全14ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング