ありませんよ。いつか一度、生きているうちに、きっと役にたつことがあるもんです。わたしに貯金がなかったら、あの娘はどうでしょう……。役にたったんですよ。十年間の苦労が、役にたったんです。もうこれで、わたしは何にも思い残すことはありません。ほっとしました。それが、まだあの娘には分らないんですからねえ……。無理もありません、まだ若いんですから……。わたしくらいの年になると、役にたってほっとしたという気持が、どんなものだか、ようく分りますよ。そりゃあわたしだって、一日二日は考えました。考えたからって、決して惜しがったわけじゃあありません。ほんとに役にたつかどうか、それが肝腎ですからね。十年間の苦労でしょう。それが役にたてば、誰だってほっとしますよ。もう何にも考えることはありません。わたしはあの娘のために、ほんとに仕合せですよ。」
 だが、頭をふりふり、そんなお饒舌《しゃべり》をしながら、彼女は泣いているのだった。酒をのんで、眼がどんよりしてくると、足がしびれたらしく、膝頭を両手でもみ初めた。その時にはもう、若い女中はうとうとしていた。おしげは折箱と酒瓶とを片附けて、押入のなかに頭をつきこんで、
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