といって、一度も向うから来さしたことはなかったが、月に一二度くらいはどちらからともなく電話で話し、三月に一度くらいはこちらからたずねていき、小遣や平素着を貰ってくるのだった。ほんとうに孝行なやさしい娘だといって、女中にはしじゅう噂をしていた。その娘に頼りきってる風だった。実の親子と同様な気持でいたらしく、いまにあの娘《こ》と家を持つのだと、それが理想でもあり目的でもあるらしかった。そのためでもあろう、彼女はふだん極端に倹約で、給金の大部分を郵便貯金にしていた。娘から二十円三十円とまとまった小使をもらってくると、「奥さま」に必ずそれを見せて、貯金がふえるのを子供のように喜んでいた。彼女の唯一の贅沢は――入費は――肌着の類と紙とだった。うわべは粗末な着物をきていても、肌にはいつも真白な布をつけ、白い清潔な紙を使うのが、自慢だった。あの娘が――みち子が――そう申しました、と彼女は云い添えるのだった。恐らくみち子から仕込まれたのであろうところの、その白い清潔な肌着と腰巻と紙とが、島村夫妻の苦笑を招くこともあったが、其他の点では、彼女は一銭の金も無駄にしなかった。そして前からのいろんなものを合せ
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